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98回目 専門家についての考察

専門家と知識

専門家についての考察 前回はトップ・マネジメントの仕事について書かせていただきましたが舌足 らずで、あたら実力もあり機会もある経営者の方が適切なヒントがないため に袋小路に迷われてあらぬ方向に行かれるので言い過ぎました。
また、マネジャーと専門家についての役割および効用についての説明が不十 分のままで終わってしまいました。 今回は、専門家について考察を行うとともに、マネジメントは何をすべきか を考えて行きたいと思っています。

最初にマネジャーの役割について簡単に触れます。 社会通念では、マネジャーの役割は管理する人でした。 この通念は、形の決まった仕事を同じように正確に実行することを目的にし ており、変化がない少品種多量生産を行うのには適していました。
その起源は鉄道の運行管理に由来し、正確を旨とする事業の要望に応えるた めに発明されたものです。
しかし、変化の激しい時代にあって変革することにこそビジネスチャンスが あるのであるから、その求められる役割が変化してきています。
20世紀最強の経営者ジャックウェルチに至っては、経営者の役割は専門家 を鼓舞し応援する「チア・リーダー」だとまで言いきっています。 マネジャーの役割は、後で述べる人材(専門家)を育て環境を整えてそして 支援して最良の成果に至らしめることだと言えます。

この考えは今に始まったことではなく、第2次世界大戦時の連合艦隊司令長 官であった山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめ てやらねば、人は動かじ。」のけっこう知られている名言があります。
しかし、この言葉には続きがあって「話し合い、耳を傾け、承認し、任せて やらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人 は実らず。」とあります。

ドラッガーは「知識」が最高の経営資源だと言っています。 その知識は、既存の「知識」ももちろん必要ですが、それよりも新たに創り 出される「創造的知識」が求められています。
その知識こそが、市場(顧客)の要求に応え企業の強みをもたらして「変化 を機会に転換させる経営資源であります。
だとしたら、その経営資源の創造主である人を育てて喜んで最大に創造し活 用してもらうことは企業の基本戦略となるものです。

続けて回りくどくなるのですが、専門家とはどんな人でありどのような活躍 が期待されるかを時代相と絡めて考えて行きたいと思います。
何故なら「専門家とは何か」の定義の仕方一つで、企業の将来性が規定され てしまうからです。
そこで、これからの時代の「専門家とは何か」について「変化」「革新」と いう「キーワード」つまり成功条件を分析しながら考えて行きます。

まずは歴史分析を行います。 日本は島国であるがために、独自で知識を創造することより進んだ知識を外 部の先進文明をから取り入れることで開明してきた歴史があります。
旧くは中国より、明治維新では欧米より、そして戦後はアメリカより取り入 れて手本として一気に先進化して行きました。
そこには豊かになれる現実的なスキル・ノウハウが既にありました。 必要な知識は既にあるものなので、学校に行って学ぶ(模倣する)ことで専 門家になるのが道筋でした。
これが経営者をはじめとする社会の共通認識でした。

さらに回りくどくなるのですが、知識の分析を行います。 企業が関わる知識は、大きく3つに分類されます。 その知識は「基礎知識」「既存の知識」「創造すべき未知なる知識」です。
日本が明治維新後に急激に工業化できたのは「識字能力」が群を抜いて高か く「知識」を導入できる基盤があったからです。 明治政府の偉大だったのは「知識」の経営的・経済的価値を知悉していたこ とで、国家予算を教育にも集中的に注力しました。
明治の後期の数字ですが、日本全国の市町村予算においてはなんと43%が 教育にあてられていたということです。

その結果は驚くべきもので、明治中期の徴募兵士の3分の1が識字能力を未 だ持たなかったのですが、後期では読み書きができない者はほとんど皆無に なったという事実があります。
識字能力や計算能力の獲得は、生産性の向上の基盤を確立します。 日本が早くから強力な活力をもって「東アジアの奇跡」をリードしてきたの はひとえに民族的風土の賜物だと言えます。
ここで長々と前置きをしているのは「知識」という経営資源について、とり あえず興味を持っていただきたいからです。
すべての経済格差は、知識の量及び質によって確定します。 もう少し駄弁を弄しますが、戦後の日本の復興は古くからある遣隋使や遣唐 使にはじまる学ぶことを希求する民族的な知的好奇心に負うところが大きい ものだと言えます。
この気質があればこそ、積極的に導入した欧米の先端技術を日本人の特質で ある「匠」の器用さでもって一気に本家を凌ぐことを可能にしました。
ただ今日では「東アジアの奇跡」は、アジア全体の成長モデルになっており、 いままで珍重してきた「既存の知識」を持つだけでは「未来の奇跡」を起こ すことができなくなってきました。

ここまで長々とお付き合いいただいたのは「未来の奇跡」を実現させるため の「創造すべき未知なる知識」をどのように獲得できるか理解していただき、 また今の時代に潜在する普遍的な機会をつかんでいただきたいからです。
ただし、ことは過去の成功パラダイムとは一線を画すところがあります。 松下幸之助さん言う「経営のコツ」をパラダイム(ある時代や分野において 支配的な物の見方や捉え方)の転換というレベルでつかんでいただくことが 必要になります。

知識(知恵)を獲得するには、取りあえず資金は必要ではありません。 過去の専門知識がなくとも、勝負することもできます。
また過去の知識は意欲をもってすれば、誰でもいつでも獲得できるものです。 より求められるのは、企業が掲げる方向性のあり方です。 企業に魅力があれば、優秀な人材や専門知識が集まって来るものです。 逆に魅力がなければ、すべての勝負できる状況を塞いでしまいます。
未来に展望を開かせる条件は、あるべき価値観に基づいたパラダイム(既定 の常識)の転換というレベルの変革であると言えます。

専門家の育ち方

以前にも述べさせてもらったように、人材の才能は偏っておりマネジャーに 向いているものと専門家に適したものとはまったく異質です。
よくある思い違いは、才能ある専門家をその貢献に対して処遇しなければな らとしてマネジャーの地位を与えてしますことです。 それは、水中をスイスイ泳ぐペンギンを、木のてっぺんに登らせて飛ばせよ うとするようなものです。

一昔前は、経営者が専門家であれば従業員に適切に指示するだけで仕事を効 率的にすすめることがまだ可能でした。
従業員の知恵や知識を総動員しなくとも、大きな成長を望まないのならまっ く支障はありませんでした。
その時代では競争はほとんど国内だけで、また企業を取り巻く経営環境の変 化は緩やかで、経営者や一部の管理者の知識と経験だけで充分に顧客(事業 所)の欲求を満たすことができたからです。

今という時代は、日本の成功モデルを学習した韓国、台湾、中国、インドさ らに東南アジアの各国が低賃金を武器にモノづくりを行っています。 既存の知識を基にした事業のやり方だけでは、もはやコストの面だけを考え ても勝ちようがないのです。
そのために、今までのような指示を与えて部下を労働させるマネジメントで は、成長はおろか安定さえ維持することが現実のこととしてできなくなって きています。
では、これからの時代を切り開いて行くビジネスモデルとはどのようなもの か、まずは頭を柔らかくしていただいてパラダイムシフト(当然のことと考 えられていた認識や価値観などの変革)してください。
それは『すべての従業員・社員を専門家に育てあげつつ、その知恵と知識と 活力をフル活用する。』ことに尽きます。
「えっ、そんなことなどできるの。」と言うお声が聞こえそうですが、松下 幸之助さんではないのですが「まず、そう思わないけまへんな。」で「それ より手はない。」ということになります。

そこでマネジャーの基本的な役割として、専門家を育成して支援し組織のな かで最大に活躍できるように環境を整えることが求められることになります。
このことを最も理解していたのは、本田宗一郎さんに代わって経営と営業を 一手に引き受けて「ホンダ」を一流企業に育てあげた藤沢武夫さんでした。 藤沢さんは、技術者(専門家)がそのもてる力を思い存分発揮できるように また上司の掣肘を受けにくくするために、思い切って本田技術研究所をつく り本社から独立させました。
ここでは地位も安定させ、本社の役員や上司の影響を受けることなく自身の 能力の研鑽をはかるとともに発揮できるようにしました。
話しは変わりますが、香川県に「日プラ」という「水族館大型水槽アクリル パネル」の制作、設置、メンテナンスに特化したユニークな企業があります。 その世界シェアは7割で、納入実績は60か国の及んでおり従業員100人 余りであるものの偉大なる中小企業です。
この企業の経営スタイルを診ることによって「専門家とマネジメントのあり 方」の一部分でも紐解ければと思います。

この「日プラ」と言う企業は創業当初に水族館の水槽をつくった経験はあっ たのですが、その製品販売の主力は大手の下請けでアクリル製の照明器具の 傘やお盆などをつくっていました。
転機はオイルショックで、アクリルの値段が高騰したために需要が低下して 事業が成り立たなくなったのです。
「さあ、どうするか。」そこで「誰もまねのできないものは何か。」と考え て、閃いたのが「常識の外には誰も来ない。」でした。
契機となったのは、モントレーベイ水族館の増築工事への入札でした。 アメリカという国は、日本とは違って実績がなくとも「品質」さえよいとな るとどんな企業のものでも受け入れてくれます。
「日プラ」の戦略は「価格」ではなく「品質」の一点に集中して製品づくり を行いました。 価格は10%高かったのですが「品質」が高かったことで受入らることにな り、オープニングパーティでの席では、日プラへの賛辞が述べられてここか ら日プラの快進撃は始まって行くのです。

「常識外」が、機会を見つけて成長して行くための「常識」ともなります。 「常識内」特に今までの企業停滞をもたらしている「常識(パラダイム)」 では、活路が開けることなどありようはずがありません。
突出を目指す「常識外」であっても「変革」をもたらすなら、新たな時代の 「普遍的なマネジメント」になって行きます。
専門家のあり方や概念についても、まったく同じことが言えます。 「日プラ」の「常識外」経営のなかでは、効果的にその実現が見られます。 大型水槽を使用するアクリルガラスの「生命線」は、その透明度にあります。 だから「ツヤ出し」の工程では手作業で丁寧に行ないます。 そうしたら、その工程の出来のチェックを誰が行うのか。
それは、手作業をしている担当者自身が任されています。 仕事の有りようが分かっているのなら、プレッシャーのかかる意思決定です。 これを行う従業員に聞くと「ありがたい。」ことだと言うのです。
「日プラ」には少数の管理者しかいないそうで、すべての現場作業はそれぞ れの担当者に任されています。
NHKの探検バクモンのなかで「社長に任せる勇気があるから。」という問 いかけに、勇気でないと否定し社長は「そういう考え方でなかったら、企業 というものは成り立たない。」「自分一人では、どうにもならない。」と答 えています。

現場の担当者のすべが、自分たちだけで作業を行えるようにいくつもの資格 を順番に取得して行きます。 「天井クレーン」「フォークリフト」「玉掛け」さらに水槽のアクリル壁面 の清掃を行う「ダイバー」の資格まで取得するのです。
全ての担当者は、自分で判断して水槽設置からメンテナンスまでの現場作業 を行う専門家に育って行きます。 人命かかわるこの仕事の専門家が育てられて行きます。
「同じ者がすべての工程を担当し、完了を見届けることで責任感や達成感が 生まれる。私が育てなくても従業員みんなで育っている。現場の人間を信頼 し、すべて任せています。責任者がいちいち入っていったら、皆その言葉で しか動かなくなりますから。」とは社長の言葉です。

日プラの新たな挑戦の舞台は海中都市だそうで、清水建設が2030年の技 術確立を目指して打ち出した深海の居住空間「深海未来都市構想」にアクリ ル板で技術協力することが決まっています。
深海に建設される360度パノラマの透明球体を、一辺が50メートルの三 角形厚さ3メートルのアクリル板で造り出されて行くのです。
自立できる専門家を育つカギは、明確に目標がありそして環境が整えられ任 されることにあるようです。
京都に教育の仕組みを変えたことで、国公立大学現役合格者数を6人から一 気に106人に増えた公立高校があります。
「堀川高校」がその学校でその立役者はかっての「組合の闘士」だった熱血 校長で、そのことを可能にした基本コンセプトが「すべて君の『知りたい』 から始まる。」です。

誰でもが優秀な専門家に育って行く種を持っています。 社会にかかわって成果を創造し、そして企業の成長を実現させるには『パラ ダイム(基本的な常識と思っている考え方)』を正しく勇気を持って変革で きるかどうかが重要なターニングポイントになりそうです。
「思わなあきまへんなあ。」から始めなければいけないようです。 マネジメントの真髄は「最少のインプットで最大のアウトプット」を実現す ることです。

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