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40回目 トップマネジメントの役割

勝つ集団の理由

戦国時代でもっとも強い武将はだれかということは、歴女でなくとも多く 人が興味を持つことでしょう。
歴史家の見解では、上杉謙信だということに落ち着くようです。 そうしたら何でそんなに強いのかということに興味が移りますが。 そのことでNHK“知恵伊豆”で、おもしろい解説がされていました。
長年の「はてな?」が、「ああそういうことなのか!」と少しながら理解 が進みました。 その解説から分かったのは、軍の編成と謙信が真っ先かけて敵陣に切り込 んで指揮したことが大きな要因であったようです。
軍編成の特徴は槍兵が多かったことです。 槍兵の強さは、機動力に富んだ電光石火の接近戦に持ち込むことが可能な ことです。
ただ槍兵での戦いの難点は接近戦なので勇気が要ることで、そこで御大将 である謙信が現場である最前線で総指揮をとりました。
実に大将自らが最も危険な第一線に立ち、強みの源である将兵の勇気を鼓 舞していたのだから強かったようです。 ただし、無謀な一騎駆けではありません。 数十名の薙刀や刀を持った親衛隊である力士隊を伴っての行動です。
翻って、すこし飛躍しますが東芝の不正経理の問題での御大将の立ち振る 舞いが気になります。

東芝で不適切な会計が行われていたのは2008年から14年にかけてで、前社 長であったの佐々木則夫氏が、利益が計画に届かない部署に対し「工夫を しろ」と圧力をかけ続けていたことが原因であったようです。 経営者の「工夫」のない指示が不正経理のつながったようです。
東芝の企業文化には、悪しき御公家様感覚が存在するようです。 過去にも破たんの時期がありました。 1965年(昭和40年)には土光敏夫さんが、再建を依頼され社長に就任して います。

土光さんは辣腕を振るい、翌年にはもう再建に成功しました。 土光さんにはいろいろの逸話が多いのですが、その言葉で有名なのは「諸 君にはこれから3倍働いてもらう。役員は10倍働け。俺はそれ以上に働 く。」でその「モーレツ経営」は徹底しています。 しかし、東芝の体質を変えるまでには至らず1972年に会長職に退きました。
企業がその機能を発揮して充分な成果を実現させるには、トップマネジメ ントの考え方が大きく影響されるのはとうぜんのことです。 土光さんの経営手法をもう少し見てみます。 もともと出身がエンジニアであったので、現場の重要性を知悉しています。 そのためか、いつも現場にお供を連れず赴き第一線で働く人から情報を収 集しました。
それとともに現場で働く人のやる気にも火をつけて回りました。

これとよく似た手法を取ったのがニッサンのカルロス・ゴーン氏です。 最初に最高執行責任者(COO)に就任した時点では、まったく予見を持たず白 紙で臨んだということです。 1年間は、現場を巡って働く従業員と直接対話を続けました。 その対話から生み出されたのが「日産リバイバルプラン」です。
事業は現場で行われています。 経営者の行わなければならない「工夫」は、現場の中に入り問題点と課題を 明らかにして、現場の働く人にあるべき方向性を明示してやる気に火をつけ て鼓舞することです。 してはいけないことは、責任を人に預けその人の誇りを傷つけることです。

働く人への働きかけ

いつも気になる「ことば」があります。 松下幸之助さんの「経営のコツはここなりと、気づいた価値は百万両」。 これは、「なぞなぞ」のようです。

何を気づいたらよいのか。 そのことは、教えてもらって分かるというものではなくいわば“悟り”の ようなものだと言っています。 いわく「任せて任せず」「雨が降れば傘をさす」「好況よし不況さらに よし」といった具合であり、悟れるかどうかは心もとない限りです。

松下さんには数限りない名言から分かるように、この人ほどに人間の心の ありようを重視した経営者はいません。 大阪の“前垂れ商法”の真髄ともとれます。 「松下電器は人をつくる会社です。あわせて電気製品もつくっています」 は代表的な名言です。
働く人にはもちろん「生活の糧」となる報酬が必要ですが、それとともに 「やりがい」や「誇り」や「帰属できるコミュニティ」などの「心の糧」 も必要です。

1920年3月には、全員が心を一つにするため自分も含めた全従業員28名から なる「歩一会」を結成しています。 労働運動は激化のなかで、全員が心を一つにしなければということでレク リエーション活動、運動会、文化活動などが行なわれました。
1929年3月には、社の進むべき道として「綱領・信条」が制定されました。 「綱領・信条」の元となる精神は、「企業は社会からの預かりものである」 「事業の利益は、社会に貢献した報酬として与えられるものである」として 従業員にあるべきすがたが明示されています。

戦前である時期から先駆的な働きかけが行われていますが、さらにすすんで の働きかけを行っています。 第1回創業記念式(真の使命を知った記念日として)が行われたのも戦前の 1932年で、「産業人の使命は貧乏の克服である。」「楽土を建設することが できる。」として壮大な250年計画が発表されました。
松下さんの松下電器の歴史は、従業員にあるべき姿を訴えて「松下教」と称 されるものですが、「経営のコツはここなりと」の実践の歴史です。 働く人への働きかけだけでなく、取引先の心に訴えた出来事が有名な「熱海 会談」だといえます。

危機における「経営のコツ」が発揮された一大改革のケーススタディです。
そもそもの事の起こりは、東京オリンピック後の不況で1964年の出来事です。 松下電器の販売会社、代理店は軒並み赤字に陥りました。 この会議は二日間の予定で開催されたのですが、日頃の無理な押し込み販売 や製品開発の立ち後れ等松下への不満が爆発して延々と議論が続き一日延期 されました。

この混乱に終止符を打ったのは幸之助さんの謝罪であり反省でした。 「現状は、分かった。結局、松下電器が悪かった。この一語に尽きると思い ます」といってあげた目から涙が落ち、会場はしんと静まりました。 その一ヶ月後、幸之助会長が営業本部長代行に就任しました。
幸之助営業本部長代行は、販売会社、代理店との協議のもとに問題のあった 組織体制の一新と新たな販売制度の確立を断行してゆきました。 その結果、2年後の1966年決算で松下電器は創業以来最高の営業成績を収め そればかりでなく、販売会社、代理店も不況を克服するにいたりました。

これこそが「好況よし不況さらによし」の好事例で、不況であればこそで きた大改革です。 危機の時こそ経営者が陣頭指揮をとります。 経営者が指揮を取らなければ、だれも火中の栗を拾うことはできません。 「経営のコツはここなり」を悟る出来事です。

革新と人のこころのマネジメント

成果を実現する経営者には、共通した特性があります。 「これは役立つ」というものに対しては、心から傾聴し、その真髄を学び取 ろうとします。
“守破離”ということばがあります。
エッセンスを学びとり、それを一心に我がものにして、我がものになったら それを破り、その守から離れて独創に入るという考え方です。

世界最大の流通業を育てたサム・ウォルトンは、その名人です。 その方法をサム・ウォルトンはストア・コンパリゾン(競合店調査)と言っ ており、模倣で経営手法としてはもっとも基本的な手法です。 しかし、そのやり方は徹底していてどこへ行ってもストア・コンパリゾン三 昧です。
しかし、それだけでは世界最大になることはできなかったでしょう。 革新こそが一番になるカギで、ウォルトンは“ケチ”りながらであったとし ても誰より先駆けて思い切った投資を行いました。

革新のために、これはと思う人材の獲得のためにあらゆる努力と執拗さでス カウトに努めました。 経営陣への登用や利益分配をインセンティブ(誘因)にして、思い切った情 報武装化や物流センターの構築を実現させました。
これは、アメリカ流の人材の採用の思い切った手法ですが、日本の企業にあ っても変革のために、この手法がとられはじめているようです。

傾聴は第一人者となる第一歩ですが、京セラの稲盛さんは松下さんの信奉者 でありもっともそのエッセンスを引き継いだ人物だと言えます。 その経営手法を探ってみますと、思考の重点を「人」に据え熟考のすえ独創 的なシステムを構築しています。
京セラの経営理念は、KDDIでも日本航空でも採用されているもので「全 従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献 すること。」です。 ところで、この理念は多くの企業とは少し赴きが異なるところがあります。 それは「全従業員の」が一番前に位置することです。

稲盛さんは「従業員」の物心両面の幸福を最も重要視しています。 従業員自身が経営者の視点で「人類、社会の進歩発展に貢献」してもらうた めです。 そのために考えられたのが「アメーバ組織」です。 従業員に革新という経営者意識も分担してもらうことが狙いです。
キャノンの行動指針には、三自の精神「自発・自治・自覚」があります。 自分が置かれている立場・役割・状況をよく認識し(自覚)、何事も自ら進 んで積極的に行い(自発)、自分自身を管理する(自治)姿勢で前向きに仕 事に取り組むこと。
これは、キャノン流の経営者意識の分担なのでしょう。