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91回目 変革こそが普遍の成長戦略に

痛みを伴う転換

経済産業省の新産業構造ビジョンに『痛みを伴う転換か安定を求めたジリ貧 か、日本の未来をいま選択』というキャッチ・フレーズが掲げられています。
「日本の未来」の「日本」のところを「企業」とすれば、まさにこれから起 こるこの時代の「生き残り」戦略についてを言い表しており、安定をモット ーとする国がここまで言い切っていることの恐ろしさを感じます。

経営学者ドラッカーのマネジメントの基本中の基本の考え方である「イノベ ーション(革新)」が表舞台に上がってきて、一部の成功企業の裏ワザでな くすべての企業に求められたことに経営環境の厳しさを感じざるをえません。
「生真面目に一生懸命働いていれば、お天道様が見捨てるはずがない。」か ら「死に物狂いに、知恵を絞るものしか生き残れない。」への転換です。

今まで「国は弱者を救済してすべての人を幸せにする。」が一応の社会の共 有認識だったのですが、それが『痛みを伴う』と言い出し始めています。
ケネディー大統領の就任演説にあったように『国があなたのために何をして くれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありま せんか。』でなければ国がもたなくなってきています。

半世紀も経ちますが「もはや戦後ではない。」と言われた時もありました。 時代転換を悟らなければ生き残れない「流れ」が押し寄せているのであれば、 少しでもそれを凌駕する「賢さ」「力強さ」をどのように身につけていくか が肝要で「安定」だけではもはや及ばない段階に進みつつあるようです。
孫さんが、トランプさんにさっそく会ってビジネスの話をしていますように。

『転換(イノベーション)』について新産業構造ビジョンにおいて『痛み』 という語句を使っていますが、『痛み』の活動はこれからの生き残りという 守りでなく勝ち続けようとする企業のキーワードとなります。
何をどのように『転換』したらよいかですが、少子高齢化など一部予測でき ること以外は「予測」できた瞬間から予測できない現象が起こります。
ところで「痛みを伴う転換」という言葉で思い至るのは、『先憂後楽』とい う四字熟語で、松下さんがしきりこれを言われていました。
今の時代、この『先憂』が普段のあり様となり『後楽』の時間が常に短くな って連続し、それも質的な変化も混ざり合い経営者の消耗度は時間が下るに つれて高くなってきているような感があります。

名経営者と言われる人は『痛みを伴う転換』をマネジメントしています。 日本電産の永守重信さんは「どのようなビジネスも永遠に成長することはな く、いつか必ずピークアウトする。したがって、新しいビジネスが軌道に乗 ったら、その瞬間に次の転進先を想定し準備に入るのが望ましい。危機に強 い人間とは、挫折を経験した人間。」だと言われています。
ここで考えたいのは『痛みを伴う』とか、松下さんの『先憂』や永守さんの 『危機に強い人間』といった表現が出てくることです。
何故、未来に対してこんなバラ色でない言葉が出てくるのか、創業される方 の多くがいつも自身のアイディアと成功イメージを持ってバラ色の未来を描 くことを何となく奨励されているにもかかわらずです。

よく見てよく考える人は、未来の不可知さとチャンスが理解できています。 未来学者とも称される経営学者のドラッカーは、未来について「われわれは 未来についてふたつのことしか知らない。
ひとつは、未来は知りえない、も うひとつは、未来は今日存在するものとも、今日予測するものとも違うとい うことである。」と最も権威ある説明を行っています。
「イノベーション(革新)」は予測できないという事実を機会として、いつ も柔軟な頭で「マーケティング(顧客満足)」という普遍の鉄則に沿ってチ ャレンジすることです。
ここで少し整理を行いたいのですが、未来は予測できないのですが、一方で は人間の欲求の本質は装いは変化してもいつも普遍だということです。

起業者がいつも事業の機会としなければならないのは、たえず変化する環境 や技術を見極めつつ人間の基本欲求を満たす「効用の様式」を知って焦点を 絞ってスティーブ・ジョブズのように飛躍することです。
ドラッカーは、予測できない未来を予測する例外として自分で創った未来つ まりジョブズのiPhoneのように創造する未来は予測できるとしています。

エジソンもジョブズと同じタイプの人物で「愚か者であれ。」の代表者で、 「理論に自信があれば、2つのものをつなげたら何が起こるか、理論で結果 を想定するだけで、何もしなかっただろう。だが私は何の学歴もない。だか ら、何でもつなげてみた。そうしたら、信じられない面白いことが起きた。 それが私の発明の秘訣だ。」と言っているのです。

「失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだ と言いたまえ。」「成功しない人がいたとしたら、それは考えることと、努 力すること、この二つをやらないからではないだろうか。」「他の発明家の 弱点は、ほんの一つか二つの実験でやめてしまうことだ。『わたしは自分が 求めるものを手に入れるまで決してあきらめない。』」とも言っています。

少しここで誤解を招かないように補足を行います。
偉大な発明家で企業家の共通する考え方ですが、ジョブズもエジソンも日本 では本田宗一郎さんやシャープ創業者の早川徳次さんや発明家でもあった松 下幸之助さんに至るまで、発明品についての考え方はマーケティングの考え 方で『顧客のあっと驚く満足』に焦点が絞られているということです。

諫議大夫

不倒神話のある大企業であっても『安定を求めたジリ貧』になれば、ものの みごとに危篤状態に陥ってしまうのが今という時代です。
「朝日新聞」に三菱電機の好調についての面白い経済記事が出ていました。 そこから読み取れることがいくつもあり、技術蓄積の強みのある大手メーカ ーであっても一つ方向性を間違いがえると袋小路に入ってしまいます。

98年1月末の折からの半導体不況で三菱電機が連結純損失を1千億円計上 した時の話ですが、その役員会の場で普段あまり発言しない重鎮である伊夫 伎一雄監査役(元三菱銀行頭取)が「来年度どうするか決められないようじ ゃ、許されないよ。」と釘をさされたそうです。
この一言が、『痛みを伴う転換』へと舵をとらせることになりました。

中国の漢から元に至る王朝では「諫議大夫」という天子を諌めることを専ら とする官職があったそうです。
三菱電機の伊夫伎一雄監査役は力をバックにした「諫議大夫」であり、一言 の諫言が聞き入れられて社長交代が実現されて、次期社長になった谷口一郎 氏の方針により「儲からない」事業はやめようということになりました。

08年には「コモディティー(普及化された商品)はやらない。」として半 導体の別会社化や携帯電話からの撤退が行われました。
その半年後、あの思わぬ経済的な混乱のリーマンショックが発生しました。 その時に、いち早く『痛みを伴う転換』を実行できていた三菱電機は東芝、 日立が巨額赤字を計上する中で黒字を維持したのです。

ここでつくづく思うのは、東芝にしろ日立にしろ三菱と同じように優秀な技 術者の「蓄積してきた技術」があったはずです。
何故その後の趨勢が変わったのでしょうか、そこを検証し味わうことが、あ るべきマネジメントのエスプリ(精髄)をつかんで間違わない経営を続けら れる縁(よすが)を獲得することになります。

三菱電機も「諫議大夫・伊夫伎一雄氏」がいなければ危なかったと言えます。 半導体で大成功したときの社長が、赤字を計上しても何とかなると過信して その椅子に固執して修正だけで事をはかろうとしたからです。
これがいつもある成功者が嵌る陥穽(落とし穴)で、特に大企業の社長や好 況期に事業を受け継いだ後継社長に起こりえることです。

エアバッグの欠陥問題で揺れるホンダですが、その対応にどのような戦略的 な判断を行うのか重要になってきていますが、そんなホンダの事例です。
成功体験はそれが成功要因の柱であればあるほどその企業の足を引っ張りま すが、ホンダでの過去に遡って最大の『痛みを伴う転換』は本田宗一郎さん と藤沢武夫さんの社長・副社長の同時退任劇ということになります。

ホンダの経営の考え方は、その当時の副社長の藤沢武夫さんが描き実行して きたもので、大きな柱になっていたのが本田宗一郎の亡き後の「技術」を如 何にして途絶えさせないかというものでした。
研究開発部門を分社化した「本田技術研究所」の設立がそれで、仕上げは経 営者が老害にならないうちに若手後継者にバトンタッチすることでした。

失敗が成功へ導くための大切な無形の経営資源・根源になるのと同じように、 成功体験の踏襲は『痛みを伴う転換』の足かせになります。
ホンダでは副社長の藤沢さんの捨て身の副社長辞任の申し出に、真の意味で 賢い本田さんが身の引き際を感じて「二人一緒だよ。」と応じて、本田伝説 が完結され爽やかな同時辞任劇となった経緯があります。

企業にとって一番怖いのは、成功体験を持つ経営者が固定観念に凝り固まっ て転換(革新)の時期や転換の必要性すらを見誤ることです。
経営者には諫議大夫が必要で、ソフトバンクの孫さんは過去の苦い経験から それを知っているのか、ユニクロの柳井さんを社外役員にしてボーダフォン の1兆7,500億円の買収時には激励を受け意を強くしたそうです。

アメリカのGE者の元社長であったジャック・ウェルチは、社長就任時に真 っ先に経営学者のドラッガーに教えを請いに行き「もし、今、再びゼロから 始めるとしたら、全ての事業をやりますか?」と問われたそうです。
そこから生まれたのが、本当にやる価値がある事業だけを残してそこにすべ ての人材や資本を投入するという「1位2位戦略」でした。

三菱電機に話を戻しますが、三菱電機は教えられることなしでドラッガーが 言ったところの「もし、今、再びゼロから始めるとしたら、全ての事業をや りますか?」を実践していったのです。
それは研究所出身の野間口有氏が社長に就任したときに「バランス経営」と して独自の生き方を模索して始められました。

まず、将来性を持つと判断して残していた「パワー半導体(モーターを駆動 したり電力を制御する)」をエアコンやエレベーターや自動車部品に組み込 んで省エネを実現させ、さらにファクトリーオートメーション分野へ力を注 ぎ工場内のデータを情報システムとつないで自動化、生産効率や品質向上に より顧客の要望を満足させる独自な強みの形成がその模索の結果です。

よく「一昔」という言葉を使いますが、一昔前までは儲かっている事業に乗 り出しいち早く模倣すれば十分な恩恵をこうむることができました。
他力に頼れない今という時代は、顧客の普遍の欲求を読み切って自社に能力 や強みがあって誰もやらないもしくはやれない分野に、自社の持てる人材お よび資源を集中する、このことが「成長戦略」ということになりそうです。

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