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43回目 人の活用法(人のマネジメント)

優秀な人材の定義

優秀な人材というと、国立大学の卒業生というのが明治以来現在に至るま で一般常識として刷り込まれています。 受験勉強の大変さとその難関を突破する頑張りを考えると、確かにこれも 正解なのだとは思えます。 とにかく、通念としての優秀さの第一関門は突破です。
ところで、ホンダ技研の本田宗一郎さんは「僕の会社は、いまのところ学 閥というものは存在しない。もし作るとすれば小学校閥にしたい」。 また「大学といっても、一般教養科目があり、休みがあり、休講があり、 そのうえサボったりで、三か月かそこら工場に通った程度だろう。」とい う意見もあります。
学卒神話は明治期の文明開化とともに生まれた現象で、帝大さえ卒業すれ ば「後は博士か大臣か」になれたのが現在まで染み込んだもののようです。 パナソニックでは、事業部長の中には意外と地方大学や専門学校卒の人た ちも多くおられるそうです。 もう過去の話にもなりますが、居並ぶ役員25人を抜いて一挙に社長に就 任した「山下跳び」の山下俊彦さんは泉尾工業高等学校卒でした。
コンティンジェンシー理論という経営管理論があります。 組織構造というものは最適の形式というものは存在しない、周囲の変化に 応じて絶えず変化をさせなければならないとするものです。 また、最適なリーダーシップのスタイルというものも存在せず、現状に応 じてスタイルを変化させるべきであるともしています。
結論から言うて、どんな状況においても「普遍的に優秀」とする人材は存 在しないと言うのが結論になりそうです。 歴史学者の会田雄次氏が、『アーロン収容所』という本があります。 そのなかで第2次世界大戦後に捕虜になり味わった収容所での貴重な実体 験をとおしてそのことを描写しています。
生死をかけた戦場で勇敢に指揮していたリーダーがいました。 それが収容所に入るとどうなるか、全くの行き場を失った感じで平凡な存 在になり下がってしまいます。 逆に戦場で目立たなかった人が、闇市のボスのごとくうまく立ち回り様変 わりのリーダーシップを発揮したそうです。
良きリーダーシップをとる人間が場所により状況により転換しました。 責任感を持って敗軍をリードしなければならないはずの将官に至っては、 お茶をすするだけの好々爺でしかなったことが記されています。
いつの時代でもこのコンティンジェンシーが起こります 豊臣政権でも、その安定期には勇猛な武将はもはやいらず、治世をよく統 治する文治官僚が重宝されました。 中国のことわざに「 狡兎死して走狗烹らる」があります。 敵という狡兎がいなくなると、武将は無用の長物でしかありません。
現在でも、業績が悪化すると真っ先にリストラの対象になるのは中高齢で 高給取りの貢献のあったが時代に合わなくなった職場戦士です。 脱線ついでに言うと、このような状況にならないようにするのが優秀な経 営者の役割であるとも言えます。

人のタイプについて

ドラッカーは、能力のあり方をこえてマネジャーが持たなければならない 絶対なものとして一つの条件をあげています。 それは何か、それは「真摯さ」でこの条件こそが人のタイプを超えた普遍 的な優秀な人材としてあるべき唯一の基本条件であるとしています。
そうしたらこの条件さえあればオール・マイティーかと言えば、それは少 し事情は異なります。 それは、人にはそれぞれ活躍できる状況と能力は異なるからです。 適さない場所や仕事を与えたために、あたら有益で貴重である人材は真摯 であるがゆえに過度のストレスを与えて潰してしますことさえあります。
人にはタイプがありその得意とすることは異なります。 代表的なものとしてよく知られているのは、外向的と内向的です。 この分類はスイスの心理学者のユングの「タイプ論」で述べられています。 ユングはさらに、性格タイプを思考型、感情型、感覚型、直観型に分けて そのそれぞれに外向的と内向的を配し8タイプとしています。
このタイプ論はユングの観察と思索から生まれたものですが、人材活用の 現場でも工夫をすると有益な指針となります。
人材の活用においては、とうぜん適材・適所の考え方があります。 この組み合わせがうまく行くと、組織は適切に機能し安定・成長路線を歩 むことが可能になります。
歴史的に見てこの組み合わせがうまく行っていたのが、豊臣秀吉の政権奪 取時の状況でした。 秀吉自身は、リスクをかけて戦場の第一線に立ち成果を実現してきました。 その成果の目標は、ただ一つ信長の意向に沿うことだったでしょう。 そのために基本戦略が調略でした。
信長は合理主義の権化で、不必要な戦力の消耗は望んでいません。 調略の成功は、敵を寝返らせて自身の戦力拡張になれば最高です。
いきおい秀吉の活動の力点は相手方の巨細にわたる状況をつかむことと相 手の懐に飛び込んで心をつかむことになります。 ときたま読み間違えて捕まってしまったこともあったでしょう。
ここで言いたいことは、秀吉の行動パターンがリスクに賭けて苦境を打開 する外交的直感型であると推察されることです。
秀吉は混乱期において、一縷の光明をもたらす才能を持っていました。 しかし、組織はどのような状況でも対応できなければなりません。 豊臣政権の最初は、それらの人材が揃っていました。 しかし、温厚寛容で調整に秀でていた内向的感情型の名補佐役であった小 一郎秀長が亡くなると組織のバランスが崩れてゆきます。
ゴーイングコンサーン(継続企業)を目的とする現在組織においては、た またまの刹那的な属人的な幸運によるのでなくトップ・マネジメントを正 しく構築しなければなりません。 経営者が、最初から人間タイプをマネジメントの中に理性的に取り込むこ とが求められるでしょう。

マネジメントの役割

韓非子は中国、戦国時代末期の思想家で、その思想は君主の権力を法の力 によって強化しようするものでした。 その韓非子の著書の一説に「下君は己の能を尽くし、中君は人の力を尽く し、上君は人の能を尽くす」とあり、君主を〝上・中・下”三つのランクに 分けています。
上君つまり最上の経営者は「人の知恵と能力を最高に活かし切る」とし、 そして最低の経営者は「己の能力のみにしか頼れない」としています。 中くらいの経営者は「人の労力を使い切る」と述べています。 韓非子は性悪説に基づく法家の思想家で、理詰めな合理的考え方をモット ーとしています。
中国の戦国時代は、国の存亡を賭けた戦いが続けられていました。 そのなかでの国家の経営の在り方は、生き死にが問われ続けられました。 そんななかで「上君は人の能を尽くす」と述べられており、決して架空の 理想論から出た考えではありません。 この韓非子の考えを重んじて活用した「秦」が、中国を統一しています。
論理は簡単です「一人の知恵、能力には偏りと限界があり、上級の経営者 はすべての働く人の労力だけでなく知恵と能力を使い尽くす」とするもの です。 この考えのもとで最強の企業を造り上げたのが「乾いた雑巾(知恵)を絞 る」を実行している「トヨタ自働車」です。
優良な中堅企業の経営法はすべてこの「上君」の経営を行っています。 やり手の中小企業の経営者が、規模が大きくなると一気に崩れることがよ く見かけられます。 「下君は己の能を尽くし」「人の能を尽くす」せず惜しいことです。 松下幸之助さんは「身体が弱かったから人に任せざるを得なかった。丈夫 だったら中小企業の大将で終わった。」とも洩らされます。
正しいマネジメントには、いくつもの条件があります。 最初から整理してみると、上君として「人の能を尽くす」ことがその根底 で、働くのは機械ではなく人であるということです。 人であるため、その能を尽くさせるためには人の論理の理解なくして強い 経営を行うことができません。
人は、お金のために自分の命を捨てることはありません。 しかし、家族のためや名誉のために命を捨て去ることはあり得ることです。
人は「意義」や「意味」を求めます。 この「意義」や「意味」こそが、人に強い活動エネルギーを与えます。 仕事は、もともとからして社会になんらかの有益な貢献を果たすものです。 経営者がそのことをまずしっかり認識しなければならず、そのことを一緒 に働く人に示し強く訴えことがこれこそが「理念」です。
強い力さえあればそれでよいか言えば、先に述べたように人にはそれぞれ タイプがあり持てる能力は異なります。 さらに育成しなければ開花しません。 異なるタイプを認識し育成に努め、適材適所で活用しなければなりません。 これは、組織そのものにも言えることで強みがなければ成功しません。
また、強いチームに属し強い自分に成長することは人の基本願望です。 パナソニックの「山下跳び」の山下俊彦さんは、こう述べています。 「社員全体が自己満足感を得るように仕事を与えることが大切。適度に難 しい仕事を与えるなり、新たな分野にチャレンジすることです。」 「任せると皆やりますよ。できれば感激し自信と実力が付いてきます。」
続けて「人間をつくるということは、任すということです。ただ教育だけ してもダメ。経営学を知っている人はいくらでもいます。それと同じで、 経験しないと力にならないということです。」
どんなに優秀と称される人材がそろっても絶対に失敗させるマネジメント があります。 「意味」も「意義」も告げず、単調な不得意な仕事をさせ続けることです。 笑い話になってしましますが、一部のお役所ではだれも責任をとらず考え ることを許さず、不思議なことが続けられています。