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65回目 成功するビジネスの方策

2つの流儀

成功するビジネスには2つの流儀があるようです。 高度成長期までは、主としてベスト・プラクティス(最善)の模倣でした。 この流儀は、アメリカが開発し成功したビジネス・モデルや技術・ノウハウ を時間差をもって導入して必死で模倣する方法です。 明治維新後は、誰でもが知っておられるようにこの流をベストとしました。
ところがノーベル賞の受賞者を何人も輩出するようになると、学ぶ手本が尽 きてしまい自身で創造するより手がなくなってきています。 ここでまずお断りをしておかなければならないのは、2つの流儀のどちらが 良いかということについてですが、これはどちらでもよく「顧客」「社会」 に貢献できればそれが全てであると言えます。
今回も、松下幸之助さんを引き合いに出します。 戦後、日本の製造業の復権には、欧米の進んだ技術の導入が必要でした。 松下電器も電子技術の強化をはかるため、フィリップとの提携を行いました。
その交渉の過程で行われたのが、高額の技術料の要求に対して他に例を見な い確固たる意思表示である「経営指導料」の要求でした。
少し前の時代、松下電器(現パナソニック)はその名をもじってよく「真似 した電器」と呼ばれていました。
それはソニーなどが開発した製品を「ベスト・プラクティス」として分解し て徹底的に研究して「水道哲学」がめざす「より安価で機能性の高い製品」 として世に送り出していました。
と言うと松下さんは「模倣の人」かとなりますが、こと経営に関してはまっ たくの「創造の人」で独自な経営スタイルを創造しています。
「水道哲学」つまり「水道の水のように安価な製品を世に送り出して、この 世に楽土をつくる」という理念に基づく経営や、事業部と経理本部により統 制をおこなう「マトリックス組織」は松下さんの「独創」です。
少し松下さんの話に入り込んでいますが、松下さんは「経営の神様」と称さ れるようにマネジメントに関しては「ベスト・プラクティス」です。 先に「種明かし」になりますが、大きな成果をもたらすためには最も過酷な 道である「創造」を行わなければなりません。
松下さんの言われる「血の小便」が出るまで考えなければならないようです。
しかし「模倣」もまた経営手法として絶対的に必要な手段です。 ただしその「模倣」が元祖を上回ることと、上面に見えることの中にある顧 客満足を勝ち得る本質をつかむことが必要です。
一番になれない「模倣」や本質ににかかわらない「模倣」は、しないより効 果はありますが勝つこと目的にする場合はあり得ません。
シアーズ・ローバックと言うある時期アメリカの最大の量販店がありました。 ナンバーワンは顧客の欲求のための「創造」をしなければ、後発の「創造」 を行う企業にその地位を奪われます。
シアーズ・ローバックの地位を奪ったのは、田舎育ちの「模倣」の天才サム・ ウォルトンの「物流センター」「POSシステム」という「創造」でした。 サム・ウォルトンは始めから、優良ライバル店の模倣に徹していました。 分からないことがあると、「ベントンビルから来たサム・ウォルトンですが」 とことわり誰彼となく教えを乞うことを好みました。
人の聴く名人は他に松下さんで「君、これどう思う。」と誰かれなく聞き、 ジブリの宮崎駿さんも作品の出来具合について聞きまくっています。

コンサルタントの活躍

「模倣」の一つの典型としてはコンサルタントの活用がありますが、私が最 初に出くわしたのは図らずも失敗事例で、戦略課題を見つけてくれと依頼さ れて結果的には何も収穫のなかったケースです。
それは見事な過去の分析とビジュアル的に見ごたえのあるパワーポイントを 使っての提言だったのですが、現場の課題分析は「ゼロ」というものでした。
この時のコンサル会社は、どこかの大手銀行のコンサル部門だったように記 憶しています。
聞くところによるとその時のスタッフは、大学院出の俊英であったようです。 そこでなされた提言は学術論文のような格調がありましたが、それはたしか 「中小企業白書」の一節にあったもののように感じられました。
一方で感心したのは、大手企業を退職した専門家がおこなった提言です。 この時、企業側への助言者として関与していたのですが、その課題の分析は 徹底して現場の従業員の聞き込みから始められたものです。
3代目の社長になる後継者への期待が高まった中で、2代目社長からの「私 は数値を見ると頭が痛くなる」の一言で支援は中断されました。
この時つくづく思ったのは「革新」や「戦略」の実現のためのコンサルの成 功は、ひとえに泥をかぶることを覚悟した経営者の危機意識なしには成し遂 げられないなぁという当たり前の実感でした。
これに対し「戦術」的な提言による成功事例はよく聞くことがあります。 もちろん経営者のコンサルタントへの全幅の信頼は必要なことのようですが。

関西テレビの番組で、興味を引く事例が紹介されていました。 それは滋賀にある「スパリゾート施設」の紹介で、太田さんというコンサル タントの指導によって設立されたものです。 特化した専門事業については成功事例の「模倣」が最も有効で、その分野の 実務経験豊かな専門家に委ねると現実的に成果が見られるようです。
少し脱線して、太田さんが温浴施設に強い興味を持った経緯を見てみます。 その切っ掛けが、阪神大震災に遭遇し1か月後に入ったお風呂での感動です。 まさに生きていることを実感した瞬間が、お風呂がこの世になくてはならな い素晴らしい施設であるという思いをもたしました。
ここから誰にも負けない温浴コンサルタント(伝道師)が生れました。 あらゆる分野にコンサルタントがいます。 私の少しの経験ながら思うのは、特化した専門分野においての現実的な成果 を成さしめるには有効なのかも知れないということです。
しかし断じて言えるのは、経営者の危機感と責任感のない丸投げの戦略計画 は「絵空事」の迷惑でしかありません。
ただコンサルタントではないのですが、例外的に「模倣」が「革新」や「戦 略」に役立つケースがあります。 それは「考え方」の「ベストプラクティス」を「模倣」することです。
名経営者はけっこう本を読み、あらゆる人から知恵を学んでいます。 余談ですが「徳川家康」は「本の虫」だったそうです。
京セラの稲盛さんは松下さんから「あるべき考え方」を学ぼうとしました。 松下さんは「素直さ」を尊んでおり「素直な心で見るということがきわめて 大事だ。そうすれば、事をやっていいか悪いかの判断というものは、おのず とついてくる」と言われています。
そういう素直な思いからか、松下さんは後世に多くの名言を伝えています。 稲盛さんも京都の若手経営者に請われて「人生哲学」「経営哲学」を広める 自主勉強会としての「盛和塾」活動が行なっています。 師匠である松下さんも弟子である稲盛さんも、ともに経営者に対してまた社 会に対しても「素直」に貢献しようとしています。
それは「あるべき考え方」の力を広めようとしているようです。 少し説明の隘路にはまり込んでいるのですが、ここで言いたいのは「模倣」 と「成果」についてで、即時的に業績を上げるのだけなら「戦術」的に有能 コンサルタントの活用は効果的です。
しかし、長期的に継続的かつ「戦略的」に業績を上げることを目的にするの であれば模倣すべきことは先達の「あるべき考え方」だということです。
追加でコンサルタントについて述べます。 「戦略」や「革新」は論理で処理できるような単純なものでなく、経営の真 っただ中での経験や直感の加勢なくして行えるものでないので知恵と知識と 経験豊富なコンサルタントのみが携わることができます。
そうなると、日産のゴーンさんのように社長に就任することになるのかも。

「創造」のための手法

発明王と言われたエジソンは1,000件以上の特許を取っています。 ところが意外だったのは一人での作業ではなく、研究所を設立してスタッフ とともシステマチックに行っていたことです。
これに対して本田宗一郎さんはひとりで行っていたようですが、本田さんが 去った後の「技術」は誰が担うのかは企業にとって多きな課題でした。
この本田宗一郎ひとりに頼る危うさを予測して、打開策を考えたのが相棒で あって経営全般を任されていた藤沢武夫さんです。
その結果誕生させたのが「本田技術研究所」で、凡人の知恵を結集すれば天 才一人に匹敵させることができると考えてできた「システム」です。 このフラットな組織のなかでは、上下を超えた自由な研究が求められました。

ホンダの「技術」を超えた「創造性」には、もう一つの側面があります。 これこそが「ホンダの強み」の源泉になるのですが「三つの喜び」や「人間 尊重」などのフィロソフィーやチャレンジ精神です。
これは創業時に本田さんと藤沢さんが時間がたつのも忘れて語り合った「夢」 と情熱の中から生まれたもので、やがて直弟子の中に染み込んで行きます。
ホンダには「技術研究所」とならんで独創的なシステムがありました。 それは「役員大部屋制」で、ここでは個室はもちろん自分の机もなく役員が 一堂に会して藤沢さんの助言から生れた「ワイガヤ」が行われていました。
「ワイガヤ(自由な話し合い)」はホンダの高所の戦略課題が練られ「考え」 が共有される場でした。但し、今は元社長川本氏により廃止されています。
「ワイガヤ」の創造性について考察してみます。 スティーブ・ジョブズは「創造」の困難性について「まだ存在しないものへ の消費者ニーズは消費者に聞いても分からない」と言っているようです。
模倣できないことや定かでないことを探るためには、脳みそをぎりぎりまで 絞っての議論のなかに「真実のささやき」が宿るのでしょう。
「創造」というと天才の一瞬の「ヒラメキ」のように格好よいものと思われ ますが、継続した地道な試行錯誤の中での「真実のささやき」です。
iPS細胞の山中さんや昨年度の受賞者梶田隆章さん、大村智さんの業績を 見てみると、いずれも地味な作業の連続から生まれているもののようです。 「創造」には壮大なビジョンと障害を乗り越える忍耐強さが必要です。
「創造的な革新」により、零細企業が一代にして大手中堅企業に成長するこ とは稀なことではなく「パナソニック」「ソニー」「ホンダ」「京セラ」と 数えあげれば限がありません。
一般的には製品の革新性だけに目が行きがちですが、そこにはもっと本質的 な経営(マネジメント)の「創造的な革新」に至る人間ドラマがあります。 「京セラ」の稲盛さんが「創造的な革新」に至る「その時」を見て行きます。 稲盛さんが大学を卒業して就職したのは、京都の碍子製造会社松風工業です。 ここで、ファインセラミックスの将来性を予感することになります。
しかし、そんななかで新任の技術部長との意見が合わず、元上司らの応援も あり「京都セラミック」を創業することになります。
創業2年目ですが思わぬ事態に見舞われました。 11名の高卒従業員が、過酷な作業状況の中で不満と不安を募らせ将来の保 証を求めて団体交渉をおこしました。
「その時」の稲盛さんの考えたことと経験が、京セラの「強みの源泉」とな る普遍性の「考え方」と独自な「経営システム」を生む契機になりました。 三日三晩の「だまされたと思ったら、俺を刺し殺してもいい」という言葉も 飛び出す話し合いの中で、熱意が通じて交渉はようやく決着しました。
「会社とはどういうものでなければならないか」考え続けました。 やっとたどり着いたのが「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、 人類、社会の進歩発展に貢献すること」という経営理念です。
企業が成果を発揮するには、「創造性」と「生産性」を働く人を通していか に実現するかにかかっています。
経営者が深く思い至り「全従業員の幸福を目指す会社へと生まれ変わらせる」 と約束した「覚悟」と「ヒラメキ」は、企業の精神的な強みとなりました。 ここに、会社経営の確固たる基盤を据えることになりました。
「創造的な革新」のアイディアは危機的状況の痛みの「その時」に、経営者 が覚悟を持って生み出す止むに止まれぬ「真実の瞬間」です。
また「二度と同じことを味合わないぞ!」という恐れを知る者の知恵です。 松下さんは「楽観よし悲観よし。 悲観の中にも道があり、 楽観の中にも道 がある。」と言い悲観の中で楽天的に道を求める大切さを述べています。
蛇足で付け加えると、短い期間にゆるぎない優良企業へと成長した企業では 「トヨタ」にしても「ホンダ」にしても、強い危機感の中で逆作用としてそ の中にある崩壊と発展の「摂理」と「知恵」を学んでいます。
GEのジャック・ウェルチや松下さんやサントリーの佐治さんは、高収益の 時わざわざ危機的状況をつくり「創造的改革」を断行しています。

≪アベノ塾≫ URL:http://abenoj.jimdo.com/