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29回目 最大の経営資源

武田信玄とご碁石金

武田騎馬軍団は忠誠心の高い無敵の軍団で、武田信玄の意のままに働くと言われ ています。武田二四将としても、よく知られています。 こんなに優秀な家来がいたら誰でも苦労なく無敵になれると思われますが、とこ ろが事情は全く違っていたようです。
父親を追い出して武田信玄が武田家を継いだのは、おもしろいことに信玄が優秀 だったからではなく組しやすいと見られたからであったのが真相のようです。 その頃の甲州は、地侍の勢力が強く領主を追い出してしまうほど忠誠心のかけら もなかった状況であったようです。
武田信玄は後継者の悲哀を感じながら、巧みなマネジメントで甲斐の国を一流の 国に仕上げていったのは、現在の企業のどこにでもある状況と重なります。 困難の中で徐々に地侍の利害を満たし、忠誠心を育てていったのが信玄でした。 有名な信玄の言葉として「人は城、人は石垣、人は堀、情けは見方、あだは敵」 がありますが、「人」こそ最大の資源であることを認識し苦難の統治の過程でつ かみ取った心境とも取れます。
もっともこの言葉は、信玄が言ったのではないという意見もありますが。
信玄の「強さ」を見ると、「人」とは何かをよく知る理解力と経営のセンスの良 さが読み解けるようです。
経営の最大の経営資源は「人」です。「人」をどのように選別し活かしていかに経営を行うかは、 戦国時代はもちろん現在にも通じる基本的な課題です。
甲州は金が多く産出されたようで、今でも隠し金山の伝説がテレビ番組で特番に なるくらいです。 金は主に贈答用として使われたりしていますが、また恩賞としても使われました。 信玄は、合戦では恩賞として碁石(ごいし)金とよばれる金の小粒を自身の横に 置き功労のあった時にその場で手渡したという記録があります。
これは、信玄だけでなく豊臣秀吉も同じように合戦の殊勲者には手ずから渡して いたようで戦国武将が配下の心をつかむ手段でした。 合戦では敵将の首が即恩賞になり、将兵は感状(手柄の証明書)とともに金を押 戴いたようです。
感状とは手柄を立てた証明書で、これは自身が有能な武将であることを証するも ので「主(あるじ)」を替えて新たに仕官するときの履歴としても役に立てられ ました。
この感状は武士にとっての資格証明書のようなもので、生活を糧と名誉を同時に 満たせる重要な証(あかし)です。 この感状の扱いについて、信玄にはおもしろい記録が残っています。 感状は一般的に合戦のその場で発行されるものではありません。
しかし信玄の場合は、合戦で功労があった同日にこの感状を発行しています。 武士が命をかけた働きを、その場で評価している。 やる気を引き出すための細かな将としての心遣いが読み取れます。
また人材の登用についても普段から心がけていて、 領内を自分できめ細かく見て周り、そこで実際に見聞きしたことをあらためて部 下に問い質してその返答でその人物の誠実さを推し量りました。
何故なら、部下として登用するために最も大切な要素が「誠実さ」だからです。 甲斐の国が当時で最も強い軍団を持つに至ったのは武田信玄の卓越した経営があっ たからのことで、後継者が行う経営のヒントがつまっています。
大切なのは、「人」という最大の経営資源をいかに見つけ育てるかで経営の根幹に なります。

チンギス・ハーンの統治について

チンギス・ハーンは世界帝国をつくりあげた偉大な英雄です。 なぜこのような偉大な偉業ができたかということですが、一般には騎馬軍団の戦闘 の巧みさがあげられます。
しかし、蒙古民族の馬の扱いのうまさはずっと続いてきたことで要因の一つにしか すぎません。 その偉業は、騎馬軍団の戦闘の巧みさという「強み」の要素を最大に活かしきる経 営能力の秀逸さによります。
そこで疑問がおこってくるのはその経営能力というのは何か、どうしたらそれが可 能かということです。 また、なぜそのようなことができたかということです。
まず、それを可能にする条件から考えてみます。 武田信玄でも、また織田信長での場合もそうですが、宿命に対して後ろを向かず前 を向いて果敢に切り開いたスピリット(気概)を持っていたことにつきます。 挑戦しなければ滅びます。
しかも、挑戦が成功したらなお強く挑戦しなければ安定は勝ち取れません。 企業経営についても同じで、さすがに命までとられることはないのですが一度の成 功に安住したらやがての崩壊が待ち構えています。 チンギス・ハーンの生涯もそのようなもので、もともとは小さな部族の族長の長男 であった境遇が父親が他部族により毒殺されたことから苦難が始まっています。
大きく成功するにはスピリット(気概)がなければなりません。 物欲や虚栄心などを超えたスピリット(気概)が、大きく成功への扉を開きます。 チンギス・ハーンの場合は、父親の毒殺によって同部族の人々が離散するなかで家 族を守らなければならないことからはじまりました。
やがてはその逆境からふたたび息を吹き返してくるのですが、つまり統治能力を身 につけてくるのですが、統治のあり様には基本があります。 まず統治の前提条件になるのは規律(掟)です。2つ目は、分配(生活保障)です。 3つめが人材の登用です。4つめは「強み」の形成です。
大きく成功する経営者には絶えず2つの側面が求められます。 それは相反する側面で、峻厳さと包容力の両極を同時に持つということです。 一見すると矛盾しますが、そこには一定の方程式があります。
成果を阻む条件については峻厳で、成果をもたらす条件に対しては積極的に恩恵を 施します。それも自己を律する誠実さを持てば、それが魅力となり部下は喜んでつき従って行きます。
チンギス・ハーンは規律のためには、弟も殺しています。 その一方では、たとえ敵であっても有能であれば抜擢して配下に組み込んでゆきま した。耶律楚材は、敵国金の重臣であった人物ですが自身の官僚に登用しています。 イスラムの役人なども有能であればその意見を積極的に採用しています。 「知識」を、その出自がどこであっても役立てば活用します。
最大の経営資源である人材の登用法については、ローマ帝国が敗者であってもそれ を包含して大帝国を作り上げた故事があり一脈通じるものがあります。 また、モンゴル帝国の強さの源泉は、騎馬軍団の強さを基盤としますがそれに加え 最新テクノロジーを使用したことにもよります。
金国への侵攻については、鉄鉱山を真っ先に抑えています。 鉄の使用については最も先進的で、自国内で鉄工房を持ちそこで武器をつくり前線 へ絶えず補給していました。

現在企業の人材活用

人材をいかに活用するかは、経営者にとっては最大の課題です。 その意味では、人材の活用に腐心しない経営者はその時点で、もはや競争から脱落 したと言えます。
人材の活用について最も意を注いだ経営者の代表は、松下幸之助さんで「私の会社 は製品をつくる前に、人をつくっています」と言われ、数々のエピソードが残され ています。
幸之助さんは「自分は小学校しか出ていないので、だれからでも教わらなければな らない」と言われて、たとえ新たに採用された新人でも「君このことについてどう 思う」と聞かれたそうです。 場合によっては、何回も納得するまでひつこく聞くこともあったといわれています。
もっともこの問いかけの裏を考えると、いくつもの熟達の経営者の知恵が潜んでい るようにも考えられます。
もちろん部下への教育的な効果もありますし、親近感を持たせるという効果もあります。 経営者が聞くということは、人を雇用している立場である者にとって特別な意味合いがあります。
松下幸之助さんは衆知を集めるということもよく言われていました。 誰にでも聞かれたというのは、実は自分が知らないということの正しい意味も知っていたからだったとも思われます。
商品とは顧客が購入してはじめて商品になります。 それなら、もっとも顧客に近い人に聞かなければなりません。
アイディアはどこにでもあり、誰でもが持っています。 「垂れ下がったブドウ」を刈り取るという考え方があります。 それは現場のなかにあるアイディアを活用して、現実的に問題や課題を解決し生産 性を向上させることです。
この考え方で業績向上させたのが、20世紀最強の経営者といわれたGEのジャッ ク・ウェルチであり、もう一人はトヨタ生産方式を体系化した大野耐一氏です。 ジャック・ウェルチは、従業員や幹部と打ち解けての会話を好んでいました。 企業のビジョンが浸透できるとともにアイディアを交換できるからです。 そんななかで生まれたのが、「ワーク・アウト」という手法です。
現場の従業員の生産性向上についてアイディを引出して、確実に利益を生み出すと いう手法です。
トヨタの「カイゼン」はよく知られているもので、 現場の知恵をTQC(全社的品質管理)により引き出して、ムリ、ムダ、ムラを排 除して品質向上をはかるとともに生産性向上も実現しようとするものです。
洋の東西にかかわらず、強い経営力を構築するには人のもつ「知識、知恵」をいか に引き出すが経営の要(かなめ)になります。 現場の従業員との打ち解けたコミュニケーションは経営者にとっては必須の経営課 題です。
京セラの稲盛さんは、忘年会などの飲み会(コンパ)を重視されていてたとえ高熱 が出ても参加した言われています。 少し話はそれるようですが、伊達正宗は毎日家来と会食する献立を考えて、その時 々で違ったメンバーを指名し馳走したそうです。