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61回目 非常識のすすめ

「パラダイム」の怖さ

「パラダイム」ということばは、一般的にあまり聞きなれない言葉です。
辞書によると「ある時代に支配的な物の考え方・認識の枠組み。規範。」と あります。 もともとは、トーマス・クーンによって提唱された科学史上の概念でしたが 今では、拡大解釈されビジネス用語にまで援用されています。
もっとも代表的な事例は、「天動説と地動説」でコペルニクスが登場するま で「天動説」つまり地球が宇宙の中心であるとの考えが「真実」でした。
現在では「地動説」は小学生でも当たり前のことですが、ご承知のように 「ガリレオ・ガリレイ」は、この説を唱えたために「カソリックの異端審問」 にかかり職を失い軟禁生活を送ることになりました。
「天動説と地動説」の事例はよほどの人を除いては当然の「考え方」として うけとられます。
これは常識とする「考え方・認識の枠組み」の危なさをまざまざと示すもの で、今もこの状況をまったく異ならず少し極端ですが「IS(イスラミック ステート)」は独自の「パラダイム」を持って戦闘を行っています。
ビジネスの世界でも、このことはまったく異なるものではありません。 経営の神様である松下幸之助さんが「企業は公器である。」や「私の会社は、 製品をつくる前に、人をつくっております。」などの名言が、人によってそ れは「面白いこと言ってるなあ」ということになります。 しかし、この名言のもとに松下さんは強い経営を行ったのは事実です。

日常のビジネスでも多くの人が当然とする「パラダイム」があります。 「良い製品は、かならず売れる」という考え方です。
ここでよくあるのはメーカーが新たな市場を目指して「ひらめき・アイディ ア」でつくってしまう製品で、市場調査をおこなわずの冒険は競馬のビキナ ーズ・ラックでない限りまずもってヒットすることはありません。
孫氏の兵法でもあるように「敵を知り、己を知らば百戦して危なからず。」 で、顧客はもちろん敵ではないのですが顧客が欲しいと欲するものを適切な 場所で、適切に伝え、適切な価格で販売でしなければ売れません。
とうぜんとしてここにある考え方の原点が「顧客から、すべてを始める」で、 作り手の「ひらめき・アイディア」は宝くじと同じの確率と言えます。

戦国時代の合戦にしてもしかりです。
一般の英雄伝説では、猛将がおりそのもとに勇敢な将兵がおり命を懸けて戦 うことで勝敗が決すると考えてしまいます。 そこにあるのは「大和魂の根性論」で経営者トップがこれを掲げることは爽 快ですが、そこには成果に結びつく知恵がなく勝ち目はありません。
勝つには知恵を駆使して、戦う前に勝つ状況をつくらなければなりません。 豊臣秀吉などの城攻めを見るとまるでビジネス活動そのもので、城周辺の兵 糧を買い占めた上での兵糧攻めや土木工事による水攻めなどは当時の合戦の 「パラダイム」を覆しています。
中国大返しなどは「ロジスティック」の活用以外の何物でもありません。 よりよく勝つためには知恵を駆使した固定観念にとらわれない「認識の変革」 が、よりよい成果をもたらすことになります。
NHKの朝ドラ「あさが来た」での炭鉱業への進出は、両替商が時代の流れ を乗り越えていくための様子が描かれています。
「天動説」に固執していては、ある日とつぜん思わむ事態を招来します。

非常識社員が創業

「常識」であるとする「固定観念」の怖さは、その中に入ってしますと「道 理」から外れてしまってもおかしいと思わなくなることです。 極端な話ですが「ナチスドイツ」での勤勉な「収容所」勤務は、上司から賞 賛されるものでありまったく日常のお勤めになります。 「異常な中」での「異常な行動」は、「正常」であると評価されます。
これは、日常生活のなかでどこにでも起こり得ることなのですが、評価基準 がないだけにどのように考えたらいのか「思考停止」におちいります。 ただビジネスの社会では、顧客という厳正な評価者がおり一時繁栄を続けて も経営の「原理・原則」を逸れると時間的な差はあれ崩壊に向かいます。
異常な環境のなかでは「非常識」な活動こそが、正しいこともあります。 このことを検証するために、2人の経営者の事例を追ってみました。
一人目の経営者は、元イディアインターナショナル社長であった福本雅治氏 でもう一人はセーレン株式会社会長の川田達男氏です。
二人とも原理・原則を常識とするタイプで、上司から見ると「非常識」で扱 いにくくそれでいて「業績」を残す厄介な存在だったようです。
経営者にとってもっとも重視しなければならないのは「人材の見極め」です。 人は仕事を離れれば、扱いやすくて愛嬌のある部下が愛されます。 しかし、仕事では逆で一言居士の主張する部下が有能な場合もあります。 ここがポイントで、有能な人材の獲得に貪欲だったGEのジャック・ウェル チのように自由な発想で挑んでくる社員を歓迎していました。
そこで「非常識」な人材と見られた経営者の行動を見て行きます。 福本雅治氏が最初に入社したのは「キャノン販売」で、コピー機やファックス の営業が担当でした。 営業の鉄則は一にも二にも顧客回りで、上司からは「一日に、平均40軒から 50軒回れ」と言われていたそうです。
ところが、福本雅治氏がとった手法は「データ重視」の営業でした。 顧客の求めるのは、使い勝手がよくリース料の安い機器です。
そこで心がけたのが情報収集で、企業がリース契約した時期およびその時のリ ース料金を徹底的を調査しそれらの情報をデータベース化しました。 そこからは、机にかじりついて専ら企画提案書づくりに没頭しました。
営業は足で稼いで得るものだという常識があります。 当然福本氏の行動は、上司にとって好ましい姿と映るはずがありません。 おかげで支店にとばされることになってしましました。
ここからが本領発揮でちょうどリース契約が切り替わる顧客をターゲットとし て、好条件の企画提案を行って十数回のトップセールスを実現させました。
その後やむもえない事情があり、転職を繰り返したのですがやがて株式会社イ ディアインターナショナルの設立に至ることになります。 同社が最初に扱った商品は「時計」で、前職で必死で働きノウハウを蓄積して きた強みがあるものの斜陽の産業分野の商品です。
しかし、ここにも福本氏の独自の『非常識』を逆手にとった戦略ありました。

成長を考えるならIT産業です。
しかし、ITは参入障壁が低く誰でもが参入でき、おのずから競争がはげしく 優秀なだけでは成功は覚束ない業界です。 それに反して時計は斜陽産業であるものの、毎年必ず売れる商品で業界体質が 古いだけにアイディア次第ではいくらでも活路が開ける市場でした。
特にターゲットを定めたのが、デジタル式の置時計で。 それも赤色LED表示のモノで、量販店のバイヤーからは「非常識」だと指摘 されることになります。
そこで考えたのはインテリアショップやデザイン雑貨店への売り込みで、ある ショップとコラボレートしたところ2,000個が完売されました。
ここでつくづく思ったことは、業界の常識にいったん染まってしますとその常 識からなかなか抜けれないということです。 教訓としては、マクドナルドのレイ・クロックの言うところ「勇気を持って、 誰よりも先に、人と違ったことをする」で、既存の市場に打って出るには「業 界人が考えつかない商品」を「思いついていない場所」で売り出すことです。
平成26年福本氏は、業績が下降しているということで辞任されました。 未だ黒字を計上している時期でのことです。
業績下降は、成長重視のパラダイムの罠にはまったのかもと予想されます。 または、「非常識」のなかにある知恵も知る同氏のことですので、新たな発想 転換があったのかも知れません。

※福本氏のことについては、野地扶嘉氏の光文社新書版「一流たちの修業時代」 も参考にさせていただきました。 興味深い著書で、経営を知るうえで読み応えがありました。

非常識社員が経営者に

もはや安穏と暖簾を守って、経営が成り立つ時代は過ぎたように思われます。 偏差値の高い大学を卒業して、超難関の資格を取得したとしても安全地帯が見 つからない世の中になっているようにも感じます。 頼れるのは、マネジメントの本質としての原理・原則に則った「非常識」とも とれるチャレンジする「変革の経営」だけようです。
安定のなかでは、旧帝大や早稲田、慶応をトップクラスで卒業し安全のエレベ ータに乗ればそれなりの恰好はつきました。
それが思わぬ真の力がためされる事態になって「なんとか努力しろ」と言って 決算の誤魔化して大変な事態を招来します。 これからは、変革能力ある経営者の時代がやって来たようです。

セーレン株式会社の川田達男氏の「100年企業‐企業は変われるか」という 商工会議所のセミナーに参加する機会がありました。 予備知識のないままで参加したのですが、そこで語られていたのが将に川田会 長の良い意味での「非常識な経営」の感銘的な好事例でした。 安定期には、左遷の憂き目を見た真の経営者の感動体験談でした。
セーレン株式会社は、創業126年の老舗の会社だそうです。 生業は繊維の精錬、染色に特化し下請け、委託、賃加工を行っていました。 繊維産業は1960年代がピークで、1970年の日米繊維交渉などは今は夢 のまた夢のことになってしまいました。
今やアパレル製品は、輸入97%の国内生産の破裂の状況です。 しかし、セーレンはそのような環境にあって、着実に成長し続けてなんと売上 総額1,037億円の安定企業になっています。
これは「非常識」な経営を常識としていた企業で、「非常識」と嫌われた人物 が成し遂げたさらになし続けている偉業です。 川田氏は、自分が経営者になることなど露ほども思わなかったと言っています。
事の起こりは左遷で工場勤務を5年半続けて現場のことがよく分かったこと、 さらに諦められたのか「好きにやっていい」というので自分で物を作って売る という仕事を始められたことでした。
ここで出合えたのが、同社の主力商品である自動車の内装材で売上の40%を しめる起死回生の大ヒット商品です。
川田氏が社長を任命される前は、この商品のみが成長分野で他は軒並みの総崩 れで倒産の危機の中にありました。
もともと同族会社であり、同族以外から初めて登用でした。 ここからが川田氏の「非常識」の「DoorDie(実現か死か)」の革 命経営が始まりました。
繊維業界には特殊な常識があり、糸→織→編→染色→縫製と生産は分業化され ており一貫生産は「非常識」とされていました。 しかし、生産の分散は「品質」「納期」「コスト」のトータルマネジメントの 障害となっていました。
そこで「カネボウの繊維部門」をも買収して、一貫体制を実現しました。
革命の要は人材です。
同氏がもっとも力を注いだのが人材の育成と活用です。 採用した経営理念が、堀場製作所にも似たユニークさで「おもしろおかしく」 に匹敵する「のびのび、いきいき、ぴちぴち」です。 この文言は、一見非常識ですがそれにはそれなりの道理があります。
「のびのび、いきいき、ぴちぴち」は、誰が聞いてもすぐに心にのこります。
「のびのび、いきいき、ぴちぴち」には、付随する言葉があります。
「のびのび自主性、いきいき責任感、ぴちぴち使命感」とつながります。 企業を発展に導くのは第一線の全社員です。
社員の「夢や志の共有」なくしては、強い企業としての変革は起こりません。 同社は「繊維」という「カテゴリー」を基軸として、あらゆる分野に挑戦を 行っています。
126年続いてきたからと言えど、過去の「常識」は「非常識」となりもは や一国だけで成り立たない環境になっています。 現在はありえない変化の時代で、生き残りには「非常識」が条件になります。
最後に、川田氏がマネジメントについて論理的に説明できるもの2割、論理 的に説明できないものは8割と説明されていました。 学問としてマネジメントをマスターしたとしても経営者とはなれないことを 言われ、「それでも学問は」と言い添えられました。
結論は、経営者にとってはマネジメントは必須の教養であるということです。 ≪アベノ塾≫ URL:http://abenoj.jimdo.com/