アサイコンピュータサービス

30回目 経営の常識

パラダイムの危険性

世の中には“常識”と称されるものがあります。 「最近の若者は、全く常識を知らない。」という言われ方は、有史以来いつの時 代も言われ続けられているそうです。
企業経営では、10人のなかで9人の人間が反対するアイディアが意外にも大成 功を収めるケースがあります。 多くの人が同意を示すものは、よくて人並で、 悪くすれば陳腐化そのものであるケースが多く見受けられます。
「パラダイム」ということばがあります。 もともとは科学史の用語で、「ある時代の中心的な見方・考え方を支配する認識 の枠組み」だそうで、平たく言えばその時代の固定概念と言えます。 代表的な例では、「天が地球の周りを回っている」とする天動説がそれです。 間違っていても、多くが信じ切ればそれが「パラダイム」になります。
最近はビジネス用語としてよく使われるようになりました。 ビジネスにおいては、科学的になかなか検証されにくいので経営者が固く信じ切 っているあやふやな「パラダイム」が多くあります。
一頃は、「何時になったら景気が回復するんでしょう」という話をよく聞かれました。 何故なら景気は絶えず循環していて、しばらく待って興隆期を迎えるとすべての 企業が恩恵を受けることができたからです。
もう一つは、「いまどんな業種がもうかっていますか。」という問いかけです。 というのは一つの業種が流行っていると我も我も参入してそれなりにやっていけ た時代がありました。
今は、そんなことを言っている経営者を見かけなくなりましたが。 これらが、それぞれの時代での「パラダイム」でした。 少なくなったのですが、「給料を払っているのに何で働かないんや、あいつはど うしようもない。」これもよく聞かけれました。
今は、嫌ならすぐに会社をやめてしまいます。 昔は、嫌な仕事であっても働かなければ生きていけない時代であったからです。 どうしたらやる気になるのか。
やる気にさせる「パラダイム」が変化しています。 経営の神様「松下幸助」さんは絶えず考え続けた人です。 自分で考えて、そして人の知恵にも謙虚に耳を傾けて常識にとらわれずにさらに 考え続けました。
「事業部制」「マトリックス経営(経理本部)」「予算会計制度」そして「水道 哲学」を独自な視点で創出してゆきました。 経営者は、時代の「パラダイム」にとらわれずに考える抜くことが肝要です。 成功する経営者は、時代の常識から抜け出たところから出発します。

戦国時代のパラダイム

「パラダイム」にとらわれずに戦国の覇者になったのは、よくご存じの織田信長 です。
桶狭間の合戦は考え抜かれた「戦略」の手本です。 リスクをかけて勝つために「焦点を定め」「情報の活用」をもっとも重視してと られた奇襲作戦です。
ただ、これはリスクを避けえられない一か八かの場合に行う行動で、合理性に富 む信長はこれ以降いつの合戦に際しても敵を凌駕する兵員を動員しています。
織田信長の「パラダイム」転換活動は数限りなくあります。 松下幸助さんではないのですが、常識にとらわれず“血の小便が出る”ほど考え 抜いたからの賜物です。 それらは、時代を超えた合理的な経営判断で良質なマネジメントとして評価され ます。
少し現代風に列挙します。

1.ビジョンの導入 組織が心を一にして「何を行おうか」をイメージできる指針です。 “天下布武”、我々は天下を目標にしているということを軍団全体に浸透させま した。 このビジョンのもとに京に侵攻したときも、都人に暴行・略奪は行っていません。 ちなみに一般のケースでは、略奪・暴行は兵が戦に参加する余禄になっていまし た。 略奪の享楽があればこそ戦にも参加しました。 ビジョンづくりがもっとも巧みであったのは、浄土真宗石山本願寺とも考えられます。 来世のビジョンがあったからこそ、命をかけて教団に尽くしました。

2.組織の変革 配下の地侍を、その領地から切り離して城下に定着させました。 そして戦専門の常設の軍事組織をつくりあげました。 他の領国では、兵は同時に農民なので戦さは農閑期(暇な時期)にしか行うことが できませんでした。
この政策で兵農分離を行なわれ、いつでも軍事行動がとれることになりました。 「組織は戦略に従う」という経営の学説があります。 まさに、その考えの実践です。
松下幸之助さんは、自社の経営に効果的な組織づくりを模索し実現させています。 組織づくりは、ピラミッド組織が唯一の組織のあり方ではありません。

3.人材育成と登用 信長は早い時期に強い直属軍団を育成していました。 農家の二男坊や近隣の暴れん坊を集め、寝食をともにして絶えず訓練した子飼いの 軍事集団です。
小勢力の時期には、自軍より多勢の敵対勢力を打ち破っていました。 桶狭間の奇襲も、これらの子飼いの兵の働きによるところが多分にあります。
また、後には織田軍団の部隊長も門地にとらわれず抜擢を行っています。 ご承知のように羽柴秀吉、滝川一益、明智光秀など有能であれば適材として活用 しています。

4.新しいテクノロジーの採用
戦力の定義は戦力=動員人数×武器の威力として示されます。 鉄砲の大量使用は有名ですが、三間・三間半(5m~6m)の長槍隊の採用など は早くから行っています。 その他にも、日本最初の鉄船や大砲の使用など独創的な試みがあります。
中国に話題を移しますが、 漢の武帝がその時の大敵であった匈奴の大勝しました。 それは優秀な衛青とその甥の霍去病の両将軍を登用したからだと言われています。 それも要因の一つであったでしょうが、実は最新テクノロジーに負っています。 蒙古が強かったことにも通じますが、鉄の鏃(やじり)の採用が大いに寄与した と言われています。
いつの時代もそうですが、時代の「パラダイム」に流されてしまっている間は、 先駆けての成果を得ることができません。 時代の要望と機会を見極めての「パラダイム」転換こそが、経営者が持たなけれ ばならない経営の最大の知恵です。

成功するパラダイム転換事例

成功したパラダイム転換事例を列挙することは容易です。 すべての大きく成功し、中堅企業になった企業は何らかの意味で「パラダイム転換」 を行っています。
ただ例外があるとしたら、公的企業が民営化したケースです。 と言いながら独占でない企業においては、「パラダイム転換」できなければその衰 退はやがて訪れます。
パラダイム転換の事例として2015年3月に出た長者番付(フォーブス紙)から 探ってみます。 そこには、時代に先駆けてチャレンジした経営者の姿がなんとなく浮かび上がって きます。

1 位 柳井正(ファーストリテイリング)
言わずと知れた「ユニクロ」の創業者です。 従来は、おしゃれなカジュアル・ウェアーは結構高いのが一般的でした。 それを「高品質でファッション性があり、着心地が本当に良く、誰もが手の届く価 格で提供する」というパラダイム転換(パラダイムシフト)を行いました。
そして、そのことを実現のために「画期的な素材の開発と調達、洗練されたデザイ ンの追求」を行っています。

2 位 孫正義 (ソフトバンク) 今や生きた伝説になった感さえあります。 「情報革命で人々を幸せに」が経営理念です。
創業は1981年で、パソコンがやっと普及始めたころです。 インターネットはまだなく、そんな時代に情報化にヒラメキを感じて不透明ななかで ここに事業を集中させました。 情報こそを事業の表舞台に出すという「パラダイムシフト」です。

3 位 佐治信忠 (サントリーホールディングス)
創業以来「やってみなはれ」精神のもと、絶えず「パラダイムシフト」している会社 です。 企業理念「人と自然と響きあう」のもとに、酒類・清涼飲料、健康食品、外食、花ま で幅広い事業展開して着実に成長を維持し続けています。

4 位 三木谷浩史 (楽天)
1995年のWindows95の登場で一般の人にインターネットが急速に広まりました。 楽天の設立は1997年で、Webの活用が始まって間のない頃です。 Web上で、バーチャル店舗を開設して成り立つなんてことが半信半疑の頃でした。 典型的な「パラダイムシフト」しての企業の誕生です。

5 位 滝崎武光 (キーエンス)
1974年の設立で、一般の人にはあまり馴染みのない会社です。 事業分野はFA(ファクトリー・オートメーション)用センサ等を制作し、製造企業 を対象に事業展開しています。
この企業は製造部門を持っていません。 しかし、製品開発に特化してまた強い営業部隊を持っていて、安定した高収益を実現 しています。
この企業の「パラダイムシフト」は、製造企業でも工場を持たなくていいんではない かという考え方から出発しています。

6 位 高原慶一朗 (ユニ・チャーム)
7 位 韓昌祐 (マルハン):パチンコ店
8 位 毒島邦雄(SANKYO):パチンコ等機器メーカー
9 位 森章 (森トラスト):高層ビル建設を含む都市開発
10 位 伊藤雅俊 (セブン&アイ・ホールディングス):スーパー、コンビニ
いずれもが創業者か創業一族です。 また、特徴的なのは従来型の企業ではないということです。 従来型であっても、その事業手法は従来型ではありません。 いずれの企業も、固定観念から抜け出た考え方で小さく始めて優良中堅企業にまで成長 を実現させています。