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63回目 「働く個人」へのマネジメント

「最初に思いありき」

大成できる経営者は、最初からか途中からかはともかくとして「社会とのか かわり」を通して「大きな成果の実現」をはかろうとします。
もっとも代表的なのは、孫さんの「情報革命で『人々を幸せに』」を旗印に する「1兆・2兆円企業」宣言や松下さんの「水道哲学」「物資の生産に次 ぐ生産を以って、『極楽楽土を建設』する」です。
ここで共通するのは「最初に思いありき」で、圧倒的な自己肯定感です。 この自己肯定感はどこから来るのか。
ふたりの生い立ちは「未来が約束された」といったものではありません。 世間で愚痴としてよく言うところの「環境が良くなかったから成功しなかっ た」を基点としながらの反発作用としての成功です。

松下さんは「好景気よし、不景気さらによし」と言われます。 また「なぜ成功できたか」と尋ねられて「運がよかったからだ」と答られて 「素直」を信条にされています。
また「君の成功を邪魔したりせんよ、やれないというのは外部の事情よりも 自分自身に原因があるもんだ」とも言っています。
「劣等感(コンプレックス)」という言葉があります。 アドラーという心理学者は、この「劣等感コンプレックス」の源泉を「器官 劣等感」「甘やかし」「無視」の3つとしています。 このなかの「器官劣等感」ですが、「障害」があるがために逆に秀でた才能 を開花させる「逆転」の「補償」作用が指摘されています
「器官劣等感」についての調査で、過去のもので成否は定かでないのですが 美術学校の学生の70%までに目の異常があったという報告もあります。 人には「補償」という働きがあります。
逆境には逆作用があり、松下さんも孫さんもこれがために発奮して大きな事 業の成功をもたらすことができたのでしょう。
少し付け加えると、松下さんも孫さんも逆境のなかにいたのですが、人との 出会いは逆境ばかりでなく「孫さんのおばあちゃん」や「松下さんの奉公先 の奥さん」など心温まる出会いもあったようです。
次いで、他の二つの劣等感の源泉である「甘やかし」「無視」についてその 課題を考えて行きたいと思います。
経営は「人とのかかわり」を中心にして営まれるものであり、「甘やかし」 「無視」を受けた人材を通して少なからずも影響を受けると言えます。 「甘やかし」のケースで特に悪影響を及ぼされるのは、後継者問題です。 甘やかされて育つと、意思が歪み決断力が乏しく誇りだけが高い未熟な人格 が形成されがちなので経営者となるのにはもっとも不適格です
「無視」の問題も深刻で、人間は愛情を受けてその庇護のなかではじめて信 頼と安心感が育まれあるべき人間関係の構築が可能となるからです。
「無視された子供たち」「嫌われた子供たち」「望まれなかった子供たち」 こういった子供たちが全児童期を通して味わうのは屈辱感で、そこから敵愾 心が生まれ不適合から劣等感も生まれます。
と言いながらアドラーは、「器官劣等感」で述べたように「劣等感」がすべ て人を「敗北」へと誘うとは言っていません。 アドラーは重要なのは「自分自身の創造力にもとづいて、自力で何をつくる か」だと言い、困難を克服するには「誤った人生観」を『認める』ことであ りこの時に『自己変革』が可能になると述べています。
人は自身の心にさえ「嘘」をつくことのできる能力を持っています。 「記憶」でさえ歪めてしますことがあり、アドラー自身も自分の体験を追認 してそのことを確認しています。
重要なのは環境などの外的要因ではなく「人生観などの内的要因」であり、 松下さんや孫さんの「自己肯定感」はこの「人生観」の賜物です。
少し脱線ですが、だれもが賞賛してやまない美しさでありながら「醜い」と 信じ込んだ「内気」で「はにかみ屋」の女性の事例があります。
その女性は幼いころ不器量だったので、母親は人前に出すことを嫌いました。 それがために、美しく変身し「鏡」がそのことを証明したにもかかわらず彼 女は「みにくいアヒルの子」のままでした。
人は先に言ったように「心」に「嘘」をつくことができ、「信じ込んでしま う」と「事実」ではなくとも自身の「真実」となります。
劣等感は、不適合をおこす自身の「虚構の真実」を強化します。 この不適合をおこす「虚構の真実」の呪縛から自身を解き放つためには、誤っ た「人生観」にもとづく生活様式を改めることに尽きます。
そして「逆もまた真なり」で成功を勝ち取るには、「ありたい」また「ある べき」未来を目指して「ありたい」また「あるべき」人生観にもとづく『生 活様式』を創り上げていくことです。
経営者は自身で創り上げ、社員にはよりよく『自己変革』できるように「あ りたい」また「あるべき」『価値観』と「機会」の提供を行います。

「人生観」形成支援

長々とアドラーの所説を述べてきたのは「マネジメントのエッセンス」特に 『人材の育成・活用』に大きくかかわるからです。
成功をめざすためには、基本的な要件を満たさなければなりません。 誤った「先入見(感)」があると、すべての活動は誤った方向にすすみ「本 来の持てる力」を発揮できず「失敗」への道へと転がり込んでしまいます。

企業は一つのシステムであるとともに、人間により構成された集団です。 それ故に経営者はあるべき「人生観」と「行動様式」を身につけて、「ある べき「価値観」に基づいてすべての社員に「あるべき人生観」の確立を支援 し「あるべき行動様式」が習慣化されるよう支援することが求められます。
これは、マネジメントの手段であるとともに精神であり目的でもあります。 その「価値観」を示したのが「水道哲学」で、この発表が全社員の前でなさ れたとき「その場」は興奮と感激の渦につつまれることになりました。
松下幸之助さんは「世の為、人の為になり、ひいては自分の為になるという ことをやったら、必ず成就します」と言われています。
「最大の経営資源」である人材に、誤った「人生観」を見直してもらい「持 てる能力」に気付いてもらい、最大に能力を発揮できる機会を提供して貢献 と成長を促すことが「人のマネジメント」です。

「ダイキン」は「新入社員教育」においては、徹底的して多くの時間を「グ ループ・ディスカッション」費やしています。
同社の基本的な考え方「人を基軸に置いた経営」の実践で、最初の新入社員 研修から自主的でありながらシステマチックな「ありたい自分」「あるべき 仕事」についての「人生観」「仕事観」構築への支援を行います。
優良企業のプロの人事担当者は、伸びる人材とそうでない人材を瞬時で見分 けられるそうです。
見分けのポイントは、「目は口ほどにものを言う」と言われる「目」で「真 摯さ」や「気力」は自ずから目に宿るそうです。 正しい「人生観」がなければ評価される「目」にはなれません。
評価される「目」になってもらうために、組織人としての成長を支援・育成 する制度として「メンター制度」があり注目されています。
「メンター制度」は、あまり年齢・経験の違わない先輩社員(メンター)よ り新入社員が個別に支援を受ける制度です。
メンターは新入社員の不安や悩みの解消、業務の指導・育成を担当します。

「京セラ」の稲盛さんは1983年に京都の若い経営者たちからの「経営と は何かを教えてほしい」という熱心な要望から「盛和塾」を始めました。 人としての生き方「人生哲学」、経営者としての考え方「経営哲学」を学ぼ うとするもので、まさにその骨格は稲盛さんが経営においてもっとも重視す る「考え方(人生観)」を学び取ろうとするものです。
少しマネジメントから外れて教条的な内容になってきているようですが、最 高の経営資源たる「人材」を「いかに育て・活用できるか」は企業にとって 「最大の課題」であるとともに存続・成長のための「最大の条件」です。
「誤り」に『気付きさえできれば』「顧客」「社会」に貢献できて「成果を 実現」できる「条件が整い」「機会」が訪れます。
稲盛さんにも、自身の師匠と決めた人がいました。 松下幸之助さんの「ダム経営」の講演で「安定経営のために資金や生産設備、 人員等を貯える」ことを述べられ、その方法として「そう思わなあきません なぁ」と続けられました。
この時に、この「言葉の重み」に『気づいた』のが稲盛さん一人でした。 稲盛さんは松下さんを一人決めで、「誤りを正す」ための「メンター」と考 えて「経営のあるべき考え方」を学んだようです。
「アメーバ組織」は、「事業部制」の発展形で「責任と経営者意識」こそが 社員に経営者と同じ視点を持たせる組織システムとして考えらえたものです。 権限と責任が与えられたとき、その人の「人生観」は変質します。
pまた「人間として何が正しいのか」「人間は何のために生きるのか」を示し た「京セラフィロソフィー」は、松下電器(現パナソニック)の「遵奉すべ き5精神」を模範して分かりやすくしたような趣があります。
全社員の『人生観』をあるべき方向へ導き、さらに誤った「考え方」を矯正 しあるべき「生活様式」「働き方」へと導こうとするものです。

「行動指針」

劣等感は、必ずしも「マイナス感情」とばかりは言えません。 それをプラスにもマイナスにもするのは本人次第で、要点はどのような「人生 観」「世界観」を持っていかなる「生活様式」を構築するかによります。
その場合、もっとも不利になる要因は「甘やかし」から生まれる劣等感で、こ の要因から生まれた「人生観」からの脱出には「真の勇気」を必要とします。
人は自分が快適であると、この境遇から外れることに恐怖しすべての知恵と手 段と「人生観」を総動員して対抗しようとします。
「甘やかし」の場合は、なんの自発的な働きかけをせずに「快適空間」を手に 入れることができるので人間関係の発達を妨げ自己意識が中心になり社会的な 適応能力が遅れ、結果として未熟を体験し劣等感を抱くことになります。
「甘やかし」の課題点は、経営が外においては「顧客」に内においては「従業 員」という「人にかかわる活動」であるので、他人への共感が薄く適応能力に 欠ける人材の活用には特段の配慮を要することです。
特に2代目後継者への継承においては、本人が劣等感を抱くことなく好ましい 「人生観」を持ち「生活様式」を確立できるように導かなければなりません。
古来より人の問題は事業の中心課題であり、後継者問題も普遍的な課題でした。
商才に長けた老舗商家では、含蓄のある対応を行っています。 それは2通りの対応で、幼いころより店の小僧さんと同じ扱いで育てるか、そ れとも商家の習いとして優秀な者を選んで家付き娘の婿養子にする方法です。
後継者問題の対処は、ある意味では江戸時代の方が合理的かもしれません。
優秀な人について少し考察して行きます。 「優秀さ」と「遺伝」の関連があるのだろうかということを考えてみます。 犯罪者の多くは、犯罪者の多くいる家系から生まれるのは事実です。
しかし、優秀な経営者から生まれた子供が会社をつぶすケースも多くあります。 犯罪者が犯罪者になるのは、誤った「しつけ」をされたことによります。
「人生観」の要点はどのような「見解」持つかにかかっています。 「ヒヨコ」の「つっつき」の実験で、面白い考察が得られます。
AのヒヨコがBのヒヨコをつっつき、BのヒヨコがCのヒヨコをつっつきます。 そうしたらCはつっつかれぱなしかと思っていたら、弱いはずのCのヒヨコが AのヒヨコをつっつきAは一目散で逃げて行きました。
人も同じ論理で、自己規定する「見解」によって「生活様式」が変化します。 あらゆる人間は、目標に向かって「マイナスの状況」から「プラスの状況」に 向かって活動を起こします。
ここで最も重要なのは何を重要と思うかの「見解」で、誤った「人生観」「世 界観」を持つと創造的な「生活様式」を取れなくなってしまいます。
「甘やかし」は、誤った「人生観」に人を導いてしまいます。 「無視」もまた「敵愾心」を植え付け、誤った「人生観」に導いてしまいます。
親や社会の誤った愛情や冷酷は、人の「人生観」に悪影響を与えます。 しかしこれは決定づけられたものではなく、マネジメントはこのことを知って あらゆる機会に自発的変革ができるように働きかけることが必要です。
パナソニック(旧松下電器)の松下さんは「製品をつくる前に、人をつくって います」と言い、京セラの稲盛さんが経営理念で「全従業員の物心両面の幸福 を追求すると同時に、人類・社会の進歩発展に貢献すること」と言っています。
企業の存続と成長は、ひとえに正しい「人生観」を持ち自身の成長をめざす人 によって築かれるものです。
企業にはあるべき「人生観」「行動指針」についてあるべき方向を示す指針が 必要であり、そのために「人間として何が正しいか」を判断基準としてつくら れたものが「京セラフィロソフィ」です。
他にリッツ・カールトンホテルの「ゴールドスタンダード」の「モットー」に は「紳士淑女をおもてなしする私たちもまた紳士淑女です」と記されています。
「ハングリーであれ。愚か者であれ」の「人生観」を以て事業を行ったスティ ーブ・ジョブズは、『現実歪曲空間』と称される独特な経営を行いました。 ジョブズが持っていたのは、唯一完成された製品のビジョンです。
この製品の完成のために、最高のメンバーを集め限界以上に酷使し罵倒と脅し と底抜けの賞賛によって「未だかってなかった製品」が完成されました。

独裁者の優越感

優越感は劣等感の裏返しです。
あるべき「人生観」が確立できると、人に対しての「思いやり」が生まれます。 ところが「劣等器官」「甘やかし」「無視」などを起因とする劣等感が補償や 覚醒がなされないと誤った「人生観」が形成されます。
時には「優越感」のみを希求する「力の信奉者」が生まれます。

「力の信奉者」は「劣等感」を誤魔化すために、持てる能力と知識をフルに活 用して手段を選ばず外部に働きかけます。 その力は「渇望」の程度によって威力を発揮し、他人に対する共感がないだけ に直截的でそこからは「偽り」の創造性や生産性が生まれてきます。
危惧されなければならないのは、組織のなかでは有能とみなされうることです。

≪アベノ塾≫ URL:http://abenoj.jimdo.com/