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57回目 「ミッション」の威力

まず「ミッション」ありき

iPS細胞の山中教授の3年後が、「情熱大陸」で放映されていました。 ノーベル賞受賞者として若くして栄誉を得て、はたまた京大教授の地位に もありさぞや至福の研究生活を送っているのものだと思っていました。 それがまったく違っていて「ミッション(使命)」のプレッシャーのなか で、安らぐことなく駆け続けているのには驚嘆を感じました。
マネジメントの創始者のドラッガーは、事業では「ミッション」は何であ るかから始まると言っています。 山中教授のミッションは、多くの病める人を救いたいという思いでそれも 薬剤や治療費が高額にならないようにアメリカでの開発ではなく日本で開 発したいと苦闘の最中です。
山中教授がiPS細胞活用の研究を行うための最も好環境は、残念ながら 日本ではなくアメリカのようです。

アメリカでは成功した人たちが、積極的に奉仕として資金援助をします。 また、大手の医薬メーカーと組めばその資金力は豊富でかつ関連研究機関 も充実しており最適であるとも言わざるをえません。
ところで今、山中教授がしているのは研究ではなく総括マネジメントです。 その中には資金集めも含まれており、政府が資金援助しているとは言え使 い道に制限があり活動するには不自由があるようです。
山中教授はまるで、徳川家康の名言「人の一生は、重荷を負うて遠き道を 行くがごとし。急ぐべからず」の道を歩んでいるようにも思えます。

家康と言えば旗印に「厭離穢土欣求浄土(穢れた濁世をいとい離れ、平和 な浄土をねがう)」とあり、三河武士団の安泰とともに「欣求浄土」がミ ッションでした。
織田信長はよく知られている「天下布武」がミッションで、そうしたら豊 臣秀吉はとなると織田信長の継承だとも言えるのでしょう。

ミッションは人が行動を起こすときの起点となるのもであるととに、ゴー ルとなるビジョンをも明確にします。
また、発想と強い成果実現のためのエネルギーを提供します。 世間一般にある「要領よく楽して金儲けした」では、ミッション(使命感) の持つ「到達性」と「強さ」にあがない勝ちうる術はありません。
ドラッガーによると、成果を実現するには5つの質問が必要だと言っており、 「われわれのミッションは何か」続いて「われわれの顧客は誰か」「顧客に とっての価値は何か」「成果は何か」そして「成果実現のために計画を立て る」とあります。
これは「無償の奉仕」ではなく「成果を実現のための方策」なのです。

「利益」は、顧客が「ミッション」の成果を評価して示す意思表示です。 満足の程度に応じて「対価」を支払ってくれるのは、唯一顧客だけです。 信長の成功は、「天下布武」で秩序をもたらし楽市・楽座、関所の撤廃など で経済的繁栄をもたらしたことが評価されたとも言えます。
徳川幕府の成立も「欣求浄土」の泰平を、万民が喜んだことによります。
成果は、ミッションの目的であり目標です。 企業は独特の組織形態であって、自立性の高い組織です。
企業の成果は、顧客及び社会のよりよい欲求を満たすことです。 その活動は、一過性のものでなく継続されなければならないものです。 そこにこそ、貢献するための原資としての利益があるべき意味を持ちます。

「ミッション」の玄妙さ

ミッションを理解するために、アメリカの鉄道の例を考えてみます。 アメリカの鉄道会社のミッションは何でしょうかと問われたときに「お客さ んの役に立つ『鉄道サービス』を提供すること」と答えると思われます。 ここで「『移動サービス』を提供すること」と考えなかったことが、飛行機 や自働車に取って代わられアメリカの鉄道会社は衰退して行きました。
ただし、日本の鉄道会社はどうかというと「『鉄道サービス』を提供するこ と」として答えながらも衰退はしていません。
もっとも豪華寝台特急「七つ星」や「カシオペア」や新幹線の快適さとなる と「鉄道サービス」の意味はそのニュアンスを異にします。 ここにミッションの意味づけの困難さがあり、また玄妙さあります。
この玄妙なミッションですが理性や知性で理解し得るものでなく、コンセプ トとして言語化されまるものの感性や心として捉えるべきものです。 その捉え方によって、組織のその後の成長や方向性が大きく異なります。
創業者の強い想いのよき「創造的ミッション」が組織の全メンバーに浸透し た時、その組織は他の組織が追随できない活力を持ちえます。
前回に引き続きナポレオンを引き合いに出します。 ナポレオンが何故「英雄」であったのか、それは「フランス革命の精神」の 象徴であったからです。
ナポレオンが制定に関わったフランス民法典には、「万人の法の前の平等」 「経済活動の自由」等の近代的な価値観が取り入れられていました。
ミッションは、成果を実現しなければ穴の開いた救命具と同然です。 成果は、外部への貢献だけでなく内部の福利とさらに利益を必要とします。 目標とすべきは、内部に人たちへの物心両面への貢献を通して活力を醸成し その力により「効用」を創造し顧客・社会の欲求を満足させます。
利益は「顧客満足」を「生産的」に実現することによって獲得されます。

通常起業家の動機は、自己愛である「物欲」と「事業欲」から始まります。 ここでは、ミッションは希薄かもしくは皆無です。
まだ自己愛が中心をなし知恵や利他精神は生まれてきません。 急成長したベンチャー起業家や大手企業の後継経営者が躓き戸惑うのは、ミ ッションの意味合いと威力に対する理解が不足していることによります。
面白い事例があります。 テレビ放映された「牛たんとろろ麦飯」で評判の『ねぎし』のことです。 創業間もないころの根岸氏は、事業欲旺盛で東京で評判になった飲食店業態 を見つけるとそっくり真似してアルバイトを雇い入れ開業しました。
そこで思わぬ体験をしたことで、事業に対する考えが180度転換します。 東京で評判の業態は、地元でも物珍しいこともあって評判になりました。 そんなある日、店に用事があり立ち寄ると店ごと「もぬけの殻」で、仕方な く店長の携帯電話に連絡を入れてみてもまったく応答がありません。
後で理由が分かったのですが、それは同じ業態のライバル店が新装オープン させ高いバイト料で店ごと店員を引き抜いてしまったのです。 これが、根岸社長が「ミッション経営」を行う契機になりました。 成功するためには「現場に、意欲と活力と技能が育つ」ことが必要で、経営 者の役割はこの条件づくりであると気付いたのです。
今の「ねぎしの思い」は、「働く仲間の幸せ(人の成長・100年企業)」 「日本のとろろ文化」に貢献「楽しい街づくり」と記せられています。
ミッションの目的には「顧客(社会)の満足」と「従業員の満足」2つの要 因が関与します。
もちろん最終目的は「顧客の満足」ですが、この満足を実現させるには「従 業員の物心両面の満足」が必要であり「顧客の満足」と「従業員の満足」は どちらが先かというと「卵と鶏の関係」にあります。
『ねぎし』では「従業員の満足」に重点をおき、質の高い「顧客の満足」の 実現をはかろうとしています。
これと同じ発想として、京セラの経営理念「全従業員の物心両面の幸福を追 求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること。」があり、経営者 と同じオーナー視点を持ってもらうために考えられたものです。
ホンダの経営理念の「三の喜び(買う喜び、売る喜び、創る喜び)」からも 「顧客の満足」と「従業員の満足」をともに重んじる思いが見てとれます。
買う喜び「満足にとどまらない、共鳴や感動を覚えていただくこと」を、売 る喜び「販売やサービスに携わる人が、誇りと喜びを」、創る喜び「期待を 上回る価値をつくり出すこと」を「ミッション」としています。

松下幸之助さんのミッション

ミッションの大家(たいか)は、「経営の神様」の松下幸之助さんです。 昭和7年5月5日、大阪堂島の中央電気倶楽部で開催された松下電器製作所 (当時)の第1回創業記念式での社主告示においてそれが示されました。
それは「水道哲学」とよばれるもので、水道の水のように低価格で良質なも のを大量供給して250年かけて「楽土」を建設しようとするものです。
松下さんは若い頃は病弱で、物事の本質を考えることが多かったようです。 「水道哲学」に至ったのも、日々従業員がどうしたら一生懸命働いてくれる かを考えていて、天理に誘われ行ったことが切っ掛けになりました。
そこには神の社を建てる「ミッション」のために、無報酬で懸命に立ち働く 多くの人の姿がありました。

天理での経験を反芻しつつ思い至ったのが「人間の幸せにとって精神的安定 と物質の豊かさは車の両輪のような存在である。となれば、貧を除き富をつ くるわれわれの仕事は、人生至高の尊き聖業と言えるのではないか」です。
真の使命に目覚めたことを一刻も早く事業経営に活かしたいの思いで、全店 員への「松下電器の真の使命」の告知が行われました。

すべての事業において高い成果をもたらすのは、「ミッションの質」です。 ファーストフードのマクドナルドの「ミッション」は「QSC&V」です。 「低価格でバリューの高いメニューを、素早くかつ効率的に清潔で居心地の 良い空間で提供する」ことだとしています。
この「ミッション」展開のために「ハンバーグ大学」さえ設立されています。 「ミッション」こそが優良企業の背景をなすものですが、とは言いながら盤 石なものではなくいつもそうなのですが揺らぎます。
安定が続き使命感が希薄になった企業に、いつもその弊害が起こります。 また「従業員満足」はミッションであり「顧客満足」の必須の要件なのです が、一手段であるとして軽視されてしますことが普段に起こっています。

世界最大の大型流通企業ウォルマートが、まさにその事例を示しています。 ウォルマートはEDLP(Every Day, Low Price)をミッションに掲げ て先駆的な経営革新により大成長を遂げました。
しかし今は、従業員は時給4ドルから7ドルで医療保険もない低賃金のさな かで「やる気」をなくしていると情報提供をいただいています。
今は吸収合併されたのですが「ダイエー」が、華々しく「顧客満足」のため に「価格破壊」というミッションを掲げていました。 しかし、本業のミッションから離れて、土地バブルのさなか土地の含み益を 担保として「リクルート」を買収したり、プロ野球球団に進出する膨張政策 をとりまた不運もあって結果的には崩壊への道を歩んでしまいました。

今、大手企業で根幹を揺らがすような不祥事が相次いでいます。 東芝、東洋ゴム工業、旭化成建材と立て続けて偽装行為が発覚しています。 経営者自身の保身やマネジメント能力の欠如によっておこす「ミッション」 の放擲は、企業の存在価値を低めるとともにその存立を脅かします。
もちろん利潤は必須の要件ですが、「ミッション」を失くしては無意味です。 本来ミッションは「強み」の源泉で、マネジメントの根幹をなすものです。 企業の存在目的は、自己の存続のために利益を獲得するものではなく顧客、 社会に貢献することです。
利益は貢献と生産性によって得ることができ、恒久的な成果と成長は「ミッ ション」と「マネジメント」の相乗作用によってのみ実現されます。

「ミッション」と「人の活力」

余談として「ミッション」が「人の生きる活力」にどのように関わりを持つ かついて考えて行きたいと思います。
そのことは、オーストリアの心理学者のヴィクトール・エミール・フランク ルが著したアウシュビッツ強制収容所での体験を冷静な視点で記録しまとめ た著書『夜と霧』によって窺い知ることができます。

過酷な環境の中、囚人たちが何に絶望したか、何に希望を見い出したかを克 明に記されています。 収容されて飢えや寒さ過酷な労働という現実の中で最初に人に訪れるのは、 ある朝、隣のベッドで仲間が死んでいても、なんの感情も生じないという無 感情無感動になっていく「アパシー」という状況だそうです。
そんななかでも過酷な現実とは別の世界、他界への通路を持つことが大きな 支えとなって行きます。 信仰や芸術などの態度決定の自由「誰にも奪えない人間の最後の自由」で、 尊厳をなくして加害者の手先に落ちぶれる者がいる一方で仲間の救済のため 身代わりになり「死」を受け入れる聖職者もいました。

極限状態でも人間性を失わなかった人達がいました。 時には演芸会を催して楽しんだり美しい夕焼けに心を奪われたり「創造する 喜び」と「美や真理、愛などを体験する喜び」、運命に毅然とした態度をと りどんな状況でも一瞬を大切にしました。
幸福を感じ取る力を持てるかどうかは、運命への向き合い方で決まります。
人間は欲望だけではなく家族愛や仕事への献身など、様々なミッション(使 命感)を持って生きています。
生き残った人から見えてきた事実は「生死を分けた『未来』への希望」が持 てるかどうか」「繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、耐 え得た」という「人間性の尊厳にかかわる真実」です。