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81回目 経営のエッセンス「知恵」について2

運命共同体の力(トヨタ)

『新約聖書』マタイの福音書に「己の欲する所を人に施せ」とあり『論語』 顔淵篇に「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」とあります。 経営学者ドラッガーの言う「マーケティング」の考え方は、これです。 「自身が幸せになりたいのと同じく、お客様を幸せにする」これができれば、 お客様は満足されて社会がうるおい結果として利益が得られます。
働く人には「パン」と「心」という2つの欲求があります。 まずは「生活の糧」を得ることであり、そして「心の喜び」を得ることです。 少しややこしいのですが「心の喜び」には「仲間といる喜び」「達成し成長 する喜び」「お客様や社会を喜ばせる喜び」があり、仕事に活力をもたさせ るものは後者の二つ「成長・達成」と「利他」のよろこびによります。
またドラッガーを引用しますが「マーケティングは、顧客の欲求、現実、価 値からスタートする。」とあります。 顧客が良しとするから対価を支払ってくれ結果として利益が生じます。 これは従業員にも言えることで「仕事の活力は、働く人の欲求、現実、価値 からスタートします。」ここにもマーケティングの考え方が適用されます。

経営者に知恵がなければ、思わぬ愚策に執着してよからぬ結果を招きます。 そんな場合「縁起の法」に則り「知恵なければ業績悪化が生じる。」。 あまりにも有名な事例として、富士通の「成果主義評価制度」があります。 成果はプロセスの成功の結果として生まれるもので、プロセスの吟味もなく 人の欲求を知らずして行う評価は「やる気」に不純物を注入させます。
この制度を導入したのは秋草直之氏で、同氏は日本電信電話公社(現NTT グループ)総裁を務めた秋草篤二氏の次男で、ある時期には富士通をハード からソフトに転換させた業績も持っているのですが、この「成果主義評価制 度」の導入で結果的には富士通を著しい凋落に陥らせました。 氏には「業績が悪いのは従業員が働かないからだ。」という名言があります。
好業績を継続させている企業でも、いつも好調であるとは言えずその時々で 苦い経験もあり乗り越えて特徴ある「知恵の経営」を行っています。 そこで同業ライバルで対照的な企業文化を持つトヨタとホンダを事例として、 その強みとなった「知恵」を持つに至った歴史と経緯とその意味合いを考え 合わせてそのあり方を知ろうと思います。

トヨタの「カイゼン」の歴史には、少し悲しい出来事が込められています。 もともとトヨタには、豊田佐吉にはじまり豊田喜一郎に受け継がれて脈々と 続く「モノづくりの知恵」という系譜がありますが、この豊田喜一郎氏の信 念とトヨタに起こった苦難がトヨタの企業文化をつくり上げています。 苦難の「トラウマ」から、「カイゼン」のトヨタが誕生しました。
トヨタ自動車の源流は豊田佐吉が創立した豊田自動織機で、同社の自動車部 が独立してトヨタ自動車が設立されました。 それは豊田喜一郎氏が欧米に出張した折に、当時黎明期にあった自動車産業 の将来性を見て日本経済の柱にしようと考えてのことだったようです。 「3年でアメリカに追いつく。」との意気込みで事業が始められました。
創業は昭和12年ですが、思わぬ災難が降りかかったのは昭和25年のドッ ジ・ライン(財政金融引き締め政策)に伴う大不況でした。 この時にメイン・バンクによる貸付金の回収で倒産間際まで至ったのですが、 早期退職と販売会社設立を条件に緊急融資を受けて倒産を免れました。 この時に喜一郎氏は責めを負い退任し、2年後再就任を前に死去されました。

トヨタの企業文化は、もともとの「モノづくり」の知恵とメイン・バンクの 仕打ちに対する怨念および従業員大量解雇の後悔から生まれているようです。 喜一郎の後を継いだ石田退三氏は「この会社は、お前たちが頑張らなければ いつつぶれるか分からないぞ。」と若手社員に危機を訴えていたそうです。 「超堅実経営」や自存の「カイゼン」はここから強化されて行きました。
トヨタが昭和25年に緊急融資を受けることができたのには、地域圏経済の あり方と深くかかわりを持っています。 この地域の産業はトヨタを頂点とする経済圏を形成しています。 トヨタが倒産してしますと、この地域の産業は壊滅し地域を生活基盤とする 多くの人が路頭に迷ってしまうことになります。

トヨタはこの地域の「運命共同体」の中核で「生き残らなければならない」 という使命感(ミッション)が経営者から末端まで浸み込んでいます。 そこに、喜一郎氏の「3年でアメリカに追いつく。」という信念とチームで 行うモノづくりの精神も末端に染み込んでいました。 後は「カイゼン」のス-パースターの大野耐一氏の登場を待つばかりです。
コスト削減の切り札「ジャストインタイム(必要な物を、必要な時に、必要 な量だけ生産する)」のアイディアはもともと豊田喜一郎氏が持っていたも ので、大野耐一氏がこれを「トヨタ生産方式」として体系化させました。 大野耐一氏はかなりの剛腕であったようで、乾いた雑巾を絞り出すように現 場のワーカーに解決するまで知恵を絞り出すのようにしつけました。
トヨタのモノづくりは、厳しさでは人語に落ちないパナソニックの社員が舌 を巻くような工夫と熱心さがあるそうです。 何故それが可能なのか、また大野氏のような型破りな人物が活躍できるのか。 多くの社員が代々トヨタに勤めており、家族の冠婚葬祭においても職場がか りで世話すると言われ「運命共同体」には強い絆意識の強い力があります。

京都の企業はなかなか外部の企業に馴染まないそうですが、それを上回るの が中部経済圏で地域内の企業でなければ受け入れられないのだそうです。 トヨタは企業というよりも「運命共同体」としてのコミュニティーです。 メインバンクですら頼れない、不況になれば大量解雇を行わなければならな いという「トラウマ」が企業文化の根底を形作っています。
ここまで見てみると、経営者をはじめとする全社員が共有している「危機感」 の文化が、世界に類のない「強み」のある企業にしたのだと言えそうです。 もし「危機感」の文化と末端まで工夫する風土が崩れたときトヨタの強みが 崩れますが、現社長豊田章男氏は次々に改革を断行し2016年には意思決 定の迅速化と次世代リーダーの育成のためカンパニー制を導入しました。

瀬戸際の危機感は、知恵を生み出さざるを得ない起爆装置にもなります。 また松下幸之助さんですが「万策尽きたと思うな!自ら断崖絶壁の淵にた て。その時はじめて新たなる風は必ず吹く。」の言葉があります。 トヨタから学べることは「危機感」「現場の知恵」「運命共同体」などで、 これをどのように考え活用するかが「知恵」の出しどころです。

The Power of Dreams(ホンダ)

ホンダの創設者の本田宗一郎さんは、物事の本質を見極める聡明さがあって 自分の好きなこと一筋でありながら細やかに気遣いできる人だったようです。 ソニーの創設者の井深さんとは結構仲が良く、面白いのは一緒いる時でも気 に入った女性がいればあろうことかお構いなしに口説くのだそうです。 井深さんはそれでも、本田さんのそんな人柄も含め好きだったようです。

本田さんは茶目っ気あるいたずら坊主の趣があり、機械いじりが大好きでそ のことのみに集中して他のことを顧みない人です。 この偏りを持つ「稀代の匠」の偉大さを知って「自分の夢」を賭けようと手 を組んだのが「策士」とも称されることもある藤沢武夫さんです。 この二人の出会いがあって、ホンダという企業が誕生しました。
たびたび松下幸之助さんを引き合いに出しますが、後年松下さんは「素直の 初段」になりたいものだともらされています。 ここでの素直の意味は、おとなしく従順の意味なのでなく「ものごとのあり ままを見、ものごとの実相を明らかにする心」としています。 本田さんを評するとすれば、「素直の達人」と言うのがぴったりのようです。

本田さんは、良策であったにしても経営者として策というものを好みません。 しかし、その策嫌いの本田さんも自分の大好きな「モノづくりに」に打ち込 むために一世一代の策を講じました。 それが、藤沢武夫氏に実印まで預けて経営を任せたことでした。 聡明な本田さんが取った策なので、藤沢さんの資質のありかが推測されます。
「技術のホンダ」と言われますが、ホンダにはもう一本藤沢さんにはじまる 経営の「ホンダ」の脈流という「強み」があります。 「ホンダ」は本田さんにはじまる歴代の社長は、すべて技術畑の出身者です。 藤沢さんも策士と言われる面はありますが、言うなれば素直な心も併せ持っ た策士で「技術のホンダ」という看板の価値を知っていました。

ここからは「ホンダ」の知恵について考えて行きます。 先に、経営の最大の強みを形成するための方策について考察します。 鍵は「文化」で、知らずして考えてしまい活動するという慣性です。 何度も引き合いに出すのですが、アメリカGEの元会長のジャックウェルチ が目指していたのが管理なくしてあるべき活動に導く「文化」の構築でした。
ホンダの文化の形成は、先に述べたように2人によってなされたもので無心 の本田さんと沈思黙考の藤沢さんとにより合作されたものです。 人真似でないモノづくりが大好きなのがホンダ文化ですが、本田さんのとこ とんやり抜く「率先垂範」と「カミナリ」と人柄が核になっています。 その文化を、システムとして美的に仕上げたのが「経営」の藤沢さんでした。

二人に共通するのは「道楽」ということで、長短がうまく噛み合っています。 本田さんは「俺は遊びたいから仕事をするんだ。」と言い、仕事そのものも 「嫌いなことを無理してやったって、仕方がないだろう。」「私は不得手な ことは一切やらず、得意なことだけをやるようにしている。」と続けて言い 最後には従業員に「会社のためでなく、自分のために働けって。」です。
だからと言って「素直の達人」の本田さんは好きなことしかしない「技術バ カ」ではなく、マーケティングの本質である「独創的な商品開発・・・それ は人間の深層心理を探求することから生まれるものである。」と言い「人間 の幸福を技術によって具体化するのが技術者の使命である。」と企業が成長 するための「ミッション」を体現されています。

藤沢さんの道楽は舞台回しで、本田さんという稀代の名優を使って最高の作 品(企業)をつくることに全知全能を出し切り楽しみました。 稀代の名優と感性豊かな演出家がすべての知恵と能力を傾けて出来上がった のがホンダという企業であり、「運命共同体」のトヨタとどちらが生き残る かは別として「The Power of Dreams」の力強さを感じられます。
藤沢さんは、本社にあまり顔も出さずで主に二つのことに力を注ぎました。 一つは本田さんをはじめとする専門家が理想的な環境で心置きなく力を発揮 できるような仕組み・制度の構築・整備で、もう一つは時としてふと企業を 襲う経営危機や革新期に際して身体を張って第一線に立ち陣頭指揮を奮って 乗り越えることです。

ホンダが最大の危機を迎えたのは昭和29年度のことで、ヒット類似商品が 大幅に出回り次世代商品にも不具合が生じて売上が大きくダウンしました。 この時に、部品メーカーを説得しメインバンクの協力を取り付け、さら組合 にも単身乗り込み理解を得て危機を回避するができました。 さらに社員の士気高揚のため「マン島TTレース」出場宣言がなされました。
この「マン島TTレース」というのはオートバイレースのオリンピックのよ うなもので出場宣言は藤沢さんの思い付きに本田さんが乗ったもので、宣言 の5年後にやっと出場したのですがその2年後には125および250CC で1位から5位まで独占優勝してしまっています。 これは欧米人にとっては、東洋の小国の名もない企業の奇跡の快挙でした。
よく藤沢さんは名補佐役と言われて本田さんを表に立て自分はあえて表に出 なかったのですが、その関係は名優とロマンティストの演出家の関係です。 お互いに相手の資質を知って共感しつつ、とは言えライバルでもあります。 本田さんは藤沢さんに無理な要求を行うことはなく、逆に自分の好みとは合 わなくとも藤沢さんからの要望であれば全力をつくし実現させました。

二人にあったのは「ありえない夢」を実現させようとする大望と自信です。 その目標は世界であり、顧客が最も上質に満足できる商品をつくることです。 二人に驚嘆させられるのは、上質な野心とそれを実現させる熱意です。 藤沢さんは自分たち二人が退いた後の「ホンダ」までをも考えていました。 「本田技術研究所」や「役員の大部屋」などがその仕掛けの一例と言えます。
退く切っ掛けは藤沢さんが言い出したことで、それも部下を介してのことで したが本田さんはその申し出に即座に「自分も。」と答えて同時に後進に席 を譲ることになりました。
藤沢さんは行く末の心配と遠慮も交じっての言い出しだったようですが、本 田さんの聡明さと人間性が「まあまあだナ。」の言葉になりました。

ホンダからはトヨタとは一味違った「知恵」の系譜が浮かび上がってきます。 「上質な志」「自分のために働け」「人間の幸福を(技術者の使命)」「技 術研究所は人間の心理(深層心理)を研究するところ」などまさに「ザパ ワーオブドリーム(The Power of Dreams)」こそがホンダの価値観です。 「夢」も上質でやり抜く熱意があれば、最高の知恵が次々生れ出でます。

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