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85回目 「織田信長」の「マネジメント」

マネジメントの正統性

マネジメントは、企業だけが行うものでなくすべての組織がその組織のミッ ション(使命)を実現させるために行うものだとしています。 企業の場合はドラッカー流に言うと「顧客創造」ということになり、未だ満 たされていないまたは十分に満たされていない顧客の欲求を満たすことによ り潜在している需要を顕在化させて社会に活力を与えるとなります。

話を飛躍させますが、戦国時代でも、とうぜんマネジメントがあって戦国大 名は自身の生き残りと領土拡大のため、領民や家臣に対する統治活動や領地 争いの軍事活動やそのための経済活動が行なわれていました。
ここで戦国大名の統治活動という言葉を使いましたが、ある本によるとNH Kの真田丸の真田氏や四国の長宗我部氏さらに後北条氏などは領民への慈し みがあったかのようですが、ほとんどは奴隷としての扱いでした。
徳川時代の士農工商の身分制が不合理性であるどころの話ではなく、まった くの地獄相のたたずまいだったようです。

諸国には地侍が跋扈してその地侍が自身の身を守るためにより強い有力武将 の傘下に入る図式になっていました。 武田信玄や上杉謙信は厳密な意味では領主ではなく、盟主つまりたまたまの 拠り所であったというのが真実のようです。
戦国時代と言えば合戦ということになるのですが、その強さはもちろん武将 の作戦能力によるものですが、もっと重要なのは経済基盤でいずれの有力大 名も強固な経済基盤を持っているが故の強さです。
武田信玄も上杉謙信も金山を持っており、上杉謙信はさらに領内に良好な海 運物流拠点である港を多く有していました。

ところで、そんな武将の中で最も優秀な者をあげなさいと言われれば、それ は躊躇することなくダントツで織田信長をあげたいと思います。 信長がダントツなのは合戦に強かったというレベルのことでなく、その見識、 行動力という総合レベルで評価しての類稀なマネジメント能力によります。
その合戦の強さについても、個々の兵の強さではなく「ランチェスターの法 則」の活用そのもので、合理主義者の信長が行うにふさわしいあり方です。 戦闘力=武器効率×兵力数で示されるもので「桶狭間の合戦」以外はいつ も敵より多くの軍勢でもって敵より長い三間半の長槍や鉄砲などのより強力 な武器でもって戦いに挑んでおり必勝の体制を整えています。

ここで、当時の生産手段の中核をなす農民の暮らしについて考えてみます。 戦国時代でもとうぜん今と同じような人の営みがあったのですが、穢土(え ど)の中にあって望み少なく生きるよりしかたのない境涯でした。
時代は腕力と狡猾さがすべてで、恋をしてやがて生まれた我が子であっても 地侍の経済的都合で物としての扱いで他所の物品と交換されるという壮絶な ことが日常の出来事として行われていました。
さらに述べるとこの時代、合戦を行うのは一般的に米の刈り入れが終わった 後の農閑期であったのですが、その合戦に参加する地侍の楽しみは何かとい うとその仕組みがまた愚劣でそれは「焼き討ち」です。
「焼き討ち」とは合戦相手であれは、暴行、略奪は思いままで女は犯し売り はらい、男は殺すか人足として奴隷にするかでした。

もちろん農民は自衛のために「惣」という自衛組織をつくり、また年貢の一 部「懇志」を石山本願寺に収めて教団の保護を求めるということもありまし たが、こんな悪逆な現世を厭い来世に幸せを託していました。
また、その幸せを託した本願寺の大坊主が統治を始めると、元の国主の悪逆 よりさらに悪逆であった例もあり救われようがないのが時代相です。
ここで長々と農民の境涯を述べてきましたが、これが織田信長の登場前にあ った農民の姿で今私たちが士農工商で思い描く農民は信長がもたらしたもの であることを言いたかったからです。
信長が行ったノベーション(改革)である関所撤廃や兵農分離政策が、今で かってなかった平農民の出現を促しました。

強く強調したいのは、経営者の行う革新的なマネジメントは今までなかった 「人の幸せ」を実現できるというそのことです。
ドラッガーはマネジメント(経営)の正統性について、このように言ってい ます「正統性の根拠は一つしかない。人の強みを生産的にすることである。」 と、生産性の真の意味は「人の価値ある幸せを実現する。」ことです。

「跳躍」(イノベーション)

少し深く信長のマネジメントとその成果と関わって、そこに現れてくる出来 事からあるべきマネジメントの威力を分析して行こうと思うのです。
戦国時代というのは、力そのものが生きて行く術で生な人間が浮き彫りにさ れる時代であり、それ故に現在にも通じるマネジメントの効用が分かりやす い時代であると言えそうです。

少し脱線気味で話すのですが「正しいこと」ということの難しさ「正義」に ついて考えてみたいと思うのです。
室町将軍を尊崇し自身の欲望のために合戦を行わなかったとされる上杉謙信 ですが、その合戦においての他国領での「焼き討ち」は容認しています。 欲少なく「正義」を重んじる「聖将」上杉謙信ですが、その「正義」の執行 については現在からみるとその価値領域ははなはだ限られています。

これに対して自分を神にも擬した織田信長ですが、イエズス会の宣教師ルイ ス・フロイスとの問答で「神仏は、人を楽にしていないではないか。」と言 っており、信長の視野には農民の安楽が視野にあったようにも思えます。 天下統一が視野にあった信長は、配下の軍団に対して収奪は一切認めす兵糧 の調達は代価をもって行っています。
ここで誤解を招きそうなので少し補足しますが、信長がリンカーンのように 「奴隷解放」を旗印にしたのではなく「天下布武」を行うについて、農民の の支持が必要で余計な敵(一揆)をつくらないということで、むしろ今でい う「世論を味方につける」という感覚が明確にあったからでしょう。

「天下布武」は信長が自身のミッションを明確に示した「経営理念」の表明 で、これだけをみても時代を超えたマネジメントのあり方を示します。 ただ織田信長もまた人だったので、資料によると少し揺らぐこともありさら に結構ユーモアを解したようです。
しかし、その行動はあたかも中国の古典である一切の甘えを排した「韓非子」 のシビアな合理性でかつ合目的な行動美を実践しております。
織田信長は、無意味な先入観や偶像を一切持たなかったと言われています。 そしてその目標は明確で、その目標である「天下布武」というビジョンの達 成に向かって労力を惜しむことなく必要なすべての情報と知識を集めて決断 し行動をおこしていました。

信長はいっさい人の忠告を聞かなかったと言われていますが、聞かなかった のは忠告であって情報や知識は貪欲に収集をおこなっています。
それもポルトガル宣教師などの最先端の情報には、非常な興味を持って聴き 取ってそして先入観なしに理解しているので、地球が球体であることも正し く理解していたそうです。
ここには、あるべき経営者としての基本姿勢の原型が示されています。 情報と知識は先入観と予断なくあらゆる人からあらゆるところから金に糸目 をつけず収集し、そして意思決定においては誰にも頼らずここでも先入観と 予断なく決定しそして決断したことは直ちに行動に起こす。
そして、失敗したら全体構想に鑑みて直ちに修正し再行動を行います。

経営者には先入観と予断なくという前提のうえでまた絶えずアンテナをはっ たうえでの話ですが、正しいとの確信したなら跳躍しなければなりません。
誰も行っていないこと、前例のないことに跳躍するのは恐怖です。 しかし跳躍のない経営は、間違いなくゆるやかか急激かは別として確実に衰 退しやがて崩壊に向かうのが定めであります。
織田信長は独特の死生観を持っていました。「人間五十年、下天のうちにく らぶれば、夢幻のごとくなり」の謡を好み舞ったのはテレビドラマでもよく 出てくるシーンですが、虚無感と美意識と意志力でもって時代の定式を超越 して切り開いて行きました。
その美意識においては、パソコンのプリント基板にも美を求め前例のない商 品を創り出したスティーブ・ジョブズのあり方とどこか共通している趣があ りそうです。

ここからまた飛躍した結論付けをしますが、マネジメントの目的を「顧客創 造」と言っていますが、最も模範的なのが信長やジョブズの美意識を持った 人材によって行う時代を切り開く「跳躍」行動でしょう。

「自由」民の誕生

「信長に学ぶ」時代を超えたマネジメント力ということで話をすすめていま すので、経営者としての信長が行った「マーケティング」や「イノベーショ ン」についてまとめて行きます。

「マネジメント」は全ての組織に必要な基本的なツールで、その主たる機能 である「マーケティング」や「イノベーション」は時代を超えての根幹的な 活動の体系であり考え方そのものです。
そこでその考え方の根幹性を検証して、赤裸々に生きた戦国時代のマネジメ ントを浮き彫りにして行きたいと思うのです。
「マーケティング」は顧客の欲求に応えて収益を得る活動です。 それが公的機関であれば、住民の生活基盤や利便性をはじめとする幸福の実 現を目的に、そしてその成果の実現のために必要な税金が円滑に徴収される ように経済条件や社会環境を整えることが「マーケティング」となります。

戦国時代においては、覇者になるためのは3つの条件が必要とされました。 それは「戦略」と「情報力」と「軍事力」の3つで、このうちの「情報力」 と「軍事力」を充実されるにはその基盤たる「経済力」の充実が必要です。
また「経済力」の充実は「軍事力」を背景としてはじめてなされるという相 関関係を持ちました。 「マーケティング」について述べようとしていますが「戦略」という言葉を 出しましたので少し横道にそれて補足説明を行います。
信長の基本コンセプトは「天下布武」ということですが、その戦略構想の実 現のためにまず行わなければならないのは配下へのコンセプトの浸透と民の 支持を得るためのコンセプトの「ブランディング」でしょう。

「天下布武」のコンセプトは、われわれ信長軍が行う活動は偏頗な領地争い はなく「天下」を目指してとなると、そこから生まれる集団意識は「公」と なり行動もまた「公」であることが担保されます。
そして、足利義昭を奉じての京都上洛や天皇家への接近により「権威」付が なされ「ブランディング」つまり「正統性」を確立することになりました。
「マーケティング」に戻ります。信長の「マーケティング」を考えるとき、 それは「イノベーション」と一体となっていることに特徴があり「顧客創造」 そのものと言えるでしょう。

何故なら、信長の登場以前には搾取される奴隷農民はいても年貢を徴収でき る「農民」という存在自体がなかったからです。 そこで行ったのが関所の撤廃と兵農分離で、これによって統治して年貢の徴 収を行える自由民である平農民が生れることになりました。
また、楽市楽座や撰銭令の実施で商業者の経済活動が活発化して、地子銭や 津銭などの税金の徴収も増えることとなりました。
マネジメントの目的が「顧客創造」であるとする「ドラッガー」の定義はな かなか理解できにくいものです。 戦国時代にこれを実践し「神の役割」を意識した織田信長は経営者として見 た場合時代を超越した第一級の経営者と言えそうです。

まだまだいろんな信長の業績から、現在のマネジメントに役立つ事例を引き 出すことが可能ですが。
ここで改めて言いたいのは、質の高い「マネジメント」は社会を大きく変革 し人を幸せにする力を持っているということになります。

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