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50回目 経営者のパターン

経営者の風景

商売の極意に「運、鈍、根」ということばあります。 運が必要なのは分かります、根気も分かります、鈍が今一つ分かりません。 鈍と言えば鈍感が浮かび、作家の渡辺淳一の「鈍感力」が浮かびます。 その言によると「揺るがない鈍さこそ、生きていく上で最も大切で源にな る才能だ」とのことで何となく分かるような気もしました。
繊細でシャープさこそが良しとする感覚からいったら、鈍感は世の中にあ るチャンスが見えず機敏に立ち回れないような気がします。 しかし一方では計算高く軽薄で、いざというときは当てにならないとの誹 りも受けます。 名人、匠とは見ると、繊細であって併せて道一筋で「鈍」を事とします。
大成した経営者の言を聞くと、共通して同じ言葉が出ます。 その言葉は「私には失敗がない。何故なら成功するまでやるからだ」で、 松下さんが非常に粘り強いというか“ひつこかった”そうです。 松下さんのモットーは「周知を集める」で誰彼となく質問し、納得がいか なかったら何度も何度も同じことを繰り返し聞いたそうです。

ある大手メーカーの製造部長に製品開発について聞くと、非常に泥臭く何 日も際限なく実験を繰り返すそうです。 好成績の営業マンに聞くと、まず商品を売る前に自分を知ってもらうこと から始めるそうで、ここはと思うところには何度も通い詰め会ってもらっ てまず自分を売り込み3度か4度目かで商談をまとめるそうです。
鈍感に根気よく続けることが、運を開かせるコツでもあります。 京セラの稲盛さん、日本電産の永守さんの話によるとまったく同じような 創業時の苦労話をされます。 商売始めの中小企業が注文を取りに行ってもろくに応じてくれる所などと なく、やっとくれるのはどこもが逃げ出した案件だけだそうです。
ここからが「鈍、根」の世界に入るようで。 そころが、これこそが大きなチャンスの始まりです。 率先垂範はもちろん、従業員を叱ったり賺したりご機嫌をとったりでムリ にムリを重ね、残業に次ぐ残業でそこそこなモノができるそうです。 出来てみればどこにもないもので、かつ技術的に他企業に先んじます。

技術蓄積だけでなく、もっと大きな成果が生まれます。 それは人材が育つことで、余談ですがここでおもしろい現象がおこります。 それは意外にもあまり評価していなかった要領の悪い従業員ががんばり、 優秀と嘱望していた人材が真っ先に辞めて行ったそうです。 強みの源泉である技術蓄積は、火がつきにくい人が火をつけて発芽します。
稲盛さんも永守さんも、直接的な従業員への声掛けを重要視しています。 永守さんが言うには「お前、まだ辞めんとおんのか。」これでも阿吽の呼 吸で親愛の情が通じるのだそうです。 仕事中は叱りぱなしでほめることはないそうで、それでも年2回は手書き の書簡でよいところを褒める“気遣い”もあるようです。

アメリカGEのジャック・ウェルチが、その著書のなかで漏らしているの は、「超一流の大学の卒業生に期待するところが多かったが思ったほどの 活躍はなかった。」これにたいして「活躍してくれたのは、あまり著明で ない大学出の社員だった。」ということです。 ソニーの盛田さんも「学歴無用論」を唱えられてもいます。
ところで、小学校出の天才本田さんは図面を描かなかったそうです。 図面は、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)卒業の2代目社長にな った河島喜好さんが代行していました。 3代目社長は静岡大学工学部卒業の久米 是志氏で、小学校閥のホンダでも 連続して静岡大学卒が主軸になって活躍してはいます。

経営者のキャラクター

中堅企業を立ち上げた創業社長には、結構やんちゃなで苦労肌でガキ大将 的なキャラクターが多いようです。 鋭利な秀才肌は、図太さが求められる創業者には不向きなようです。 日本では松下さん、本田さん、稲盛さん、永守さん、アメリカでもエジソ ン、ヘンリー・フォード、サム・ウォルトンなどがそうです。
大成するのに必要なのは、動機の是非はともかくとして“野心”です。 世のため人のためといった使命感であったり、劣等感を覆そうといったも のであっても、そこにあるエネルギーで道が開けて行きます。 そして、好きなことに突き進むビジョンと世界一になるのだという気概が 加われば周りを引き込む魅力となります。

ノーベル賞を受賞できる要素についておもしろい話を聞きました。 それは能力の違いでなく、どんなテーマを選ぶかが問題だそうです。 「DNAの2重螺旋」、「iPS細胞」でも最初から、ここに焦点を絞り 研究を集中させています。 そして、最後の勝負所は、知力ではなく直観や運がものを言います。
余談ですが「DNAの2重螺旋」にしろ「iPS細胞」にしても、ノー ベル賞級の研究は、同時代に多くの研究者が取り組んでおりノーベル賞 の結びつくのはタッチの差の発表で決まることもあるようです。 そう見てみるとノーベル賞を取るノウハウは「テーマを絞り」「集中し」 「閃きを大切に」「タイミングを外さず発表」となるかもしれません。
事を成すには、最初に「思い」がなければなりません。 そして、強烈な熱意をともなった実行が道を開いて行きます。 良いアイディアはそこらじゅうにあるそうで、要点は実行するかどうか。 優秀な知性を集めて戦略計画を練ると、形が整ったものはできます。 しかし、実行となると優秀な知性はそこで終わるそうです。
そこで、実行が行われる要因を考えてみます。 松下さんは、「思わな、いけまへんなぁ~」から始めています。 稲盛さんは、それをベスト・プラクティスとして「潜在意識にまで透徹す る強い持続した願望をもつ。」そして成功の秘訣を「単純なことです。成 功するまであきらめません。」と述べています。
大成する経営者のキャラクターを見ると、一つの風韻があります。 矛盾の中に首尾一貫した基本があり、それは冷徹でありながら優しさがあ り、ケチでありながら気前が良いなど言葉での表現が困難なものです。 共通するのは、人を引き付ける何かがあることです。 夢であったり、やり抜く意志であったり、キャラクターであったりです。

船井総研の創業者船井幸雄氏は、成功者の3条件を「素直」「勉強好き」 「プラス思考」だとしています。 「素直さ」が条件であることを意外に思われる方がいるかもしれません が、経営の神様と称される松下さんがこの「素直」を経営者としての大目 標にして、どんな人の批判も素直に耳を傾けたそうです。
「電力王」「電力の鬼」と言われた松永安左エ門さんは、大経営者になる ためには、3つの「T」が必要であると言っています。 それは「投獄」「倒産」「大病」で、このうちの2つ経験して一人前だと 述懐しています。 それに加えて「自分は、2つを経験して」とも言っています。
松下さんは病弱でした。孫正義さんは大病を経験しています。 これらの3条件でないものの、大経営者になった人はその創業時に「投獄」 「倒産」「大病」と同じ辛酸を舐めて「事業とは何か」「人とは何か」と いう経営のコツに思い至ったことでしょう。 そして「プラス思考」「鈍感」で「喜び」に昇華されたのでしょう。

専門家の役割

経営者には誰でもなれます。 しかし、他の人を雇用とするとなるとマネジメントが必要になります。 企業にはその仕事の中身によって、適切な規模があります。 仕事の性質により大規模になることが求められると、経営者としての考え 方とマネジメントのスキルが必要になります。

ホンダでは、マネジメント自体は副社長の藤沢武夫氏が行ってきました。 しかし社長は本田さんでした。 本田さんは大好きな技術に専念し、経営は好きではありませんでした。 会社の顔である社長の役割と、経営者の役割は少し異なります。 ホンダでは、別な人格が担当してうまくいったケースです。
経営には絶対的に必要な2つの要件があります。 一つは「価値観」で、もう一つは「マネジメント」です。 絶対に社長が人に委ねてはいけないのは「価値観」です。 マネジメントは、一定の目標と基準と範囲のもとに委ねます。 ホンダの場合「価値観」では、本田さんと藤沢さんの合作という形です。

パナソニックの場合、松下さんが徹底した「価値観」を構築しました。 また、マネジメントについてもその根幹のあり方を作り上げています。 そうしたらすべてのマネジメントも行ったかというと、パナソニックにも マネジメントの専門家がいました。 会計基準、目標管理制度をつくった松下教の伝道師の高橋荒太郎さんです。
経営は経営者のみ能力で行えるような単純なものではなく、多くの専門家 の協力を必要とします。 「価値観」構築は経営者が行わなければならない独自職責ですが、コンセ プトとして名言化してその軸に社会変化の読み解きを組み込み行動指針と なる「ビジョン」にまでつくりあげて行きます。
ビジョンの骨格と基礎判断は経営者が行いますが、実際的な構築は専門家 と現場の協力のもとにつくり上げて行きます。 さらに、目標と課題に合わせて各部署の行動計画に落とし込んで行きます。 そして、行動計画の目的と目標と評価基準を明示したうえで適正人材を配 置し、現場で実行計画をつくらせるとともに必要な権限を委譲します。

土光さんが、東芝再建に乗り込んで重視した行動がありました。 一つは誰でもが直接話ができる「オープン・ザ・ドアー」で、もう一つは 供を連れずの現場巡りです。 それは、直に情報を収集することと励ますためです。 現場の従業員こそが、“専門家”であり最大の経営資源であるからです。
最後に、ホンダの副社長の藤沢武夫さんの生き方を少し考えてみます。 藤沢さん自身の性格をロマンチストと定義しています。 自分の夢を適えたい、その時の最高の経営資源が「本田宗一郎」でした。 また逆も真で、本田さんの夢を適えるマネジャーが藤沢さんでした。 二人の夢見る“専門家”の幸運な結合から「ホンダ」が生れました。