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55回目 「情報」をいただきました

意思決定の考察

意思決定は、トップマネジメントだけが行う仕事ではありません 仕事にかかわるすべてのメンバーが行わなければならない基本職能です。
ただし精度の高い意思決定を行うには、最終決定は本人が行わなければ ならないものの多面的に多くの人からの情報を得ることが必要です。 あの独裁的な織田信長でさえ、情報については人一倍重視していました。

「知識」こそがこれからの時代をリードする経営資源であると、経営の 哲人であるドラッカーも最も重視しています。V ナレッジマネジメント(知識経営)においては、個々人の持つ潜在化し ている情報を貴重な経営資源として結合して、経営の武器にすることが 競争優位を獲得する大切な要件と考えています。
今回は、わざわざ参考資料として情報提供いただいた「古代史」の知識 に感謝しつつここにご紹介させていただきます。 そこから一人勝手に共有知識として結合させていただきます。
前回、日本人の心情を考える際に稲作のことを考えていましたが、この 古代史の知識を知り思いを確認しました。

「知識」は現実の中で遭遇するささいな「気付き」を論理的にもしくは 直感的にイメージや言葉によって表に浮かび上がらせたものです。
情報をいただいた方は古代史に興味を持たれていて知識の収集について のあり方を面白く披露されました。 その内容を共有したいのでそのまま掲載させていただきます。

≪紹介文≫
<古代の知識掘り起しの手法> 古代史を理解するためには文献・遺跡・遺物その他総合的科学が必要に なってきております。
最近の古代史ブームに関して渡部昇一氏は次のように述べられています。 「漱石の家に入った泥棒が、庭に大便をしていったというのである。当 時の泥棒のあいだには、盗みに入った家に大便をしていくと捕まらない という験かつぎのようなものがあったらしい。
その泥棒がどういう人間であったかは、庭に残された足跡の大きさ、地 面のへこみ具合などによって、その体の大きさや体重が推定できる。
排泄物が残されていた場合、それを分析すれば夕べ何を食べたかもわか るから、どのような生活をしている人間かということも浮かんでくる。
さて、もしもこの泥棒が、手帳を落としていったとしたらどうなるだろ うか。 律儀な泥棒なら、手帳にはこれまで入った家の記録だとか、こらからの 盗みの予定とかが記されているかもしれない。
歴史の考古学的な部分は泥棒の足跡や排泄物に相当し、歴史的文献は手 帳に相当するのではないかと述べられています。
また伊沢元彦氏の逆説の日本史には内容を信じるだけでなく文献がかか れた時代の人間になって読み取ることが大切だとも言われています。

<感想>
知識の紐解きには些細な痕跡から読み解くことが必要で、また相手の立 場に立って読み取ることが大切だと教えられます。 これはまったくマーケティングの顧客ニーズの発見のことを言っている ようです。 顧客の欲求を顧客目線で理解することが、商品づくりの出発点です。

ブランド形成についての考察

現在のマネジメントでブランディングということがしきりに言われ始めて いますが、「権威づけ」は時代を超えての経営戦略です。 「顧客の視点から発想し、ブランドに対する共感や信頼など顧客にとって の価値を高めていく」というのがブランディングの定義です。 無形の価値を形成して、競争優位に事業展開する戦略手法です。V この手法は今に始まったことではなく、古代においては大和朝廷がすでに 自身の権威づけのために行っています。 フィクサーは藤原不比等のようだと推測されるそうで、ブランディングの ためのツールは過去からの物語「神話」で古代における純朴な人たちに繰 り返し語られることで神聖なイメージが定着したようです。

≪紹介文≫
<古代のブランディング> 古事記は712年に太安万侶が編纂し元明天皇に献上した日本最古の歴 史書といわれています。 天武天皇が命じて稗田阿礼の暗誦を太安万侶が書き写したともいわれて います。
当時の時代背景を調べますと藤原不比等が権力を握っており、藤原不比等 の意向で作られたという意見もあります。 藤原不比等は歴史の教科書にはあまり出てきておりませんが、大化の改新 で有名な中臣鎌足の子供で、藤原家の初代を作った功労者だといえます。 特に日本書紀は持統天皇で終わり、天皇家の祖を女性の太陽神・天照大神 に求めています。
持統天皇は大化の改新の中心人物中大兄皇子(天智天皇)の娘であります。 藤原氏だけでなく代々天皇に代わる王が登場してこなかったのは、天皇を 神の子孫であるというストーリーを記紀に残し、自分が黒幕として政治を つかさどっていったのではないかと思います。
現実は記紀また遺跡・遺物から想像すれば 1)古事記の上代イザナキ・イザナミの時代まで縄文時代 国(大八島)が誕生した時代です。 東日本は自然に恵まれて山へ行けば木の実・小動物(ウサギ・イノシシ)、 川へ行けばサケ・鮎、海へ行けば貝・魚と恵まれ自給自足ができる環境で した。
しかし地震・津波・台風・雷の自然の怖さをいつも感じていたと思います。 青森の丸山川内遺跡をみると縄文時代の生活が想像できます。 武光誠氏は縄文人の信仰は山、川、風、動物、植物などあらゆる事象に精 霊が宿るとする精霊崇拝という言葉を使っています。

2)スサノオノミコトから大国主命の時代弥生時代 中国・朝鮮から稲作・鉄が黒潮を使って九州、対馬海流を使って日本海へ 流入してきました。 九州では吉野ヶ里遺跡、出雲では荒神谷遺跡が発見されとくに古事記に登 場する出雲が非常に発展していたことがわかります。
武光誠氏は弥生時代中期に江南からもたらされたもので、亡くなった祖先 はすべて神となり、自然現象をつかさどり、子孫を見守るものである祖霊 信仰という言葉を使っています。

3)古墳時代 大阪の百舌鳥・古市に世界最大の面積の大仙古墳、最大の容量の誉田山古 墳が誕生しました。 宮内庁が管轄しているために詳しい調査ができないので仁徳天皇・応神天 皇と断定で来ませんが、朝鮮に攻めていった王がいたことは好太王碑から 明らかです。 そのころ大和朝廷が日本を統一してきたのだと思います。
武光誠氏は弥生時代のごく末に、大和朝廷によってつくられた。 それは、大王や大王に仕える首長たちの祖先の霊は、庶民の霊よりはるか に強い力をもつとする信仰である。
そこで、朝廷は民衆に自分の祖先を祀るとともに、王家の祖先の祀りに参 加することを命じるようになった。 首長霊信仰の発生が日本統一のきっかけになった。
王家は、大和や河内の有力豪族の祖神を王家の祖神の下位に位置付ける。 それとともに地方豪族の祖神も朝廷がつくる神々を組織した秩序の中に組 み込んでいく。
これによって全国の首長は王家の保護下におかれることになった。 そして、首長支配下の民衆は首長霊を祀ることを通じて、その上にいる王 家の祖神に従う。 そのような大和朝廷の支配のもとでは、王家への貢納物は、王家の祖神へ のささげ物とされた。
大和朝廷は武力で各地の首長を討って日本を統一したのではない。 自家の祖神が日本列島の住民すべてを治めるべきだとする信仰上の動機に よって、王家は地方豪族をつぎつぎに従えていった。

<感想>
提供していただいた文章をそのまま紹介させていただいたのですが、大和 朝廷の他豪族の支配が「宗教の権威」によりなされたことが伺われます。 ブランディング(ブランド構築戦略)は、それが成功し権威として確立さ れると非常に強い支配力が形成されます。 現在の経営でも権威を持つブランドは、それだけでも支配力を持ちます。
ブランド戦略では、視覚に訴えるシンボル効果を適切に活用します。 飛鳥時代の都の堂塔伽藍は地方から来朝した豪族に、逆らうことを萎えさ せる強烈なイメージを植えつけたことが偲ばれます。
安土城の天主閣や大坂城の天守閣はまさにブランド戦略の大道具で、金箔 瓦はさらに荘厳さを演出する仕掛けです。

古代からあったコンセプト構築

続いて紹介いたします。

≪紹介文≫
<古代にもあった理念形成> 古事記ができる少し前、天下分け目の「壬申の乱」がありました。 天智天皇の太子大友皇子と大海上皇子のちの天武天皇との天下分け目の戦い でした。 地方の豪族が東と西にわかれ、また百済と新羅の代理戦争という人もいます。 また王家(当時まだ天皇という言葉は使われていない)の後継者争いはすさ まじいものであったと記紀には述べられています。
このような中で、一つ考え方の権威づけの柱が必要であったので。 「天皇家の祖先であり、世のため人のためしか考えていない存在であるとす る高祖神」を作りだしたのではないかと思います。
みなさんよくご存じの因幡の白兎の最後に、「大黒様は誰でしょう。国を開 きて世の人を、助けてなされた神様よ」という歌があります。 会社の経営も現実は利害のぶつかり合いが多いです。
それを乗り越えるためには、全員が納得する理念いわゆる社会のためという 会社の理念が必要だと思います。
それが古代史のなかにある「世のため、人のため」ではないでしょうか。

<感想>
組織の運営を効果的に行うには、従業員に「誇り」を持ってもらい「意味」 を理解してもらうことが重要な基本的な要件です。 よくない例えなのですが、先の戦争では「国」のため「家族」のため「天皇 陛下」のためということで多くの人が戦場に向かいました。 「誇り」や「意味」あることこそが人の感情に染み込んで行きます。
今回は貴重な情報提供をいただきました。 あらためて感じたのは、今一番先端の知識であると思っていたことが発想を 変えてみれば成功した組織においてはすでに行われているということを認識 しました。 言い古されたことなのですが、意外と歴史から新発想が生れそうです。
どんな達人でも、情報に関しては収集限度があります。 経営者の方で時折おられるのですが、「自分が一番よく知っていて正しいの だから自分の言うことさえ聞いておればよい。」と言われる方がいます。 一方では部下がいると「君、これどう思う。」と聞きまくる経営の神様松下 さんがいてどちらがうまく人材活用しているのでしょうか。
人一人の情報量は決まっており、その視野や知見も一定の限度があります。 また例に出すのですが、織田信長でさえというか織田信長だからいうか情報 欲求は非常に旺盛でした。 武田家には透破と呼ばれるお抱え忍者がおり、北条氏の風魔党がいました。 現在の経営者では誰から、刻々変化する情報や知恵を得るのか。
何時の時代でもそうなのですが、情報が大切な経営の武器です。 今回、参考にされたらということで情報提供していただきました。
意思決定においては、特に商品企画などにおいては異質な人からの情報が必 要でブレイン・ストーミング等によって成果が実現できる「知識」に創り上 げることが求められます。
チョットした現場でのアイディアや提案でも、収益改善に貢献します。 ポイントは成果が実現して利益に結びつけられればよいのであって、だれの アイディアであるかは問題ではなく質よりも量が優先されます。
すべての人からの情報や知識が大切で、さらに言えばよりよいモノが収穫で きるように人材育成と情報収集システムの構築が求められます。